■回顧録、「私のサッカー人生」連載にあたって 近江 達
 「日韓ワールドカップの感想」が終わり、次回から、「私のサッカー人生」と題した小伝を連載させて頂くことになった。皆さんに読んで頂ければ幸いである。
 昨今、自分史、自伝作りが盛んである。以前は、自叙伝や回顧録は功なり名遂げた然るべき地位の人が後世に残すものだったが、近頃は有名無名に関係なく誰でも作る。実は私もごく短いものを書いたことがあり、それが評判になって、このホームページにもどうかと言われたのだが、もともと自分の事を話したり書いたりするのはあまり好きでない。私の母校サッカー部のOBなど、私がOB会にも出ないし何も言わないので、長年、少年サッカーを指導して来た事実さえほとんど知らないくらいだ。それで、そちらを断って書いたのが、先程の「ワールドカップの感想」である。
 何しろ生来引っ込み思案で自分から出張って行くことがない。まして功名心や出世欲などカケラも無いものだから、かえって、いろんな方に親切にして頂き、ご厚意に甘えてずいぶんお世話になった。
 とりわけ、亡き加藤正信先生(神戸FC)は何かにつけて私を引き立てて下さった。控え目すぎる、もっと喋れとよく言われたものだ。雑誌に文章が載ったのだって、変わり種発見と私に着目した大住良之さん(サッカーマガジン)が、書いてみないかと言ってくれたからである。
 お陰様で、枚方フットボール・クラブと私独自の少年サッカー育成法や見解などが世の中に出て、知る人ぞ知るところとなった。お二人から受けた御恩は片時も忘れたことがなく深謝している。
 そんな私も年論を重ね人生の落日を前にして、機が熟したというか、心境の変化と言うべきか、いささか使命感もあって、回顧録らしきものを書くことになった。ただ書くからにはサッカーだけでなく、多少なりとも私事も書かざるを得ないので、その点、掲載をお世話して下さる方々に申し訳なく心苦しいが、お許し頂きたい。 
 私は戦前に生まれ、戦中、戦後と、日本が危うく滅びかけた激動の昭和時代ら人と成り、ここ迄生きて来た。そして日本のサッカーもまたその中で存続し変っていった。上を望めばきりがないけれども、昔と比べると、最近の変わり様など、一寸した進化と表現しても言い過ぎではないくらいである。古き良き時代と全く様変わりした現代、その間の出来事など、あれこれ思い浮かべると、あの波乱変遷の幾星霜を名も無い一介のサッカー・プレヤーとして、またコーチとして、コツコツと歩いて来た私の人生体験を書記し、皆さんに読んで頂くこともきっと何か意義ある事に違いないと思う次第である。
 なお、別項として、折りにふれサッカー雑感とか、以前書いたサッカーノートの流れのメモ的なものも書きたいと考えている。
 最後に、経済不況、戦争と、何とも不穏な危うい時代である。どこ迄続く泥濘み(ぬかるみ)ぞ!一日も早く安らかな平和の日が訪れる事を心から祈りたい。

死んだ兵士の残したものは こわれた銃と ゆがんだ地球.
死んだかれらの残したものは 生きてるわたし 生きてるあなた.
死んだ歴史の残したものは  輝く今日と  また来る明日.
他には何も残っていない.  他には何も 残っていない。

谷川俊太郎作、「死んだ男の残したものは」から。


MENU NEXT