(90)§少年サッカー回顧.試合は選手が考えてプレーするもの!世界の常識! 近江 達
§少年サッカー回顧.試合は選手が考えてプレーするもの!世界の常識!
 枚方FC発足の1969年はメキシコ五輪日本3位の翌年で小学生サッカーの草創期、と言っても練習法は大人と同じで、私はそんなサッカー教育に不満だった。しっかり教育された日本選手がブラジルの草サッカー育ちに劣っているのを見れば、資質環境の差だけでなく日本の教育に問題があり遊びのサッカーで好選手が育つ事が明らかだったからだ。強チーム作りよりもまず第一に欧米サッカーのような楽しさ、上達の喜びを少年たちに伝えたかったし、やるからにはもっとハイレベルに、怒鳴ったりしごいたりしないで育てたい。だが留学体験はない。独自に育成法を開発するしかなかった。
 当時の典型的な少年サッカー教育は初めにチームありき、個人は組織と相反するもので、試合は指導者が全て考えて、手足のように教え込んだ選手に指令どおりにプレーさせていた。強チームはオープン攻撃やダイレクトプレーで、局地戦や1対1になる事は失敗、ウイング以外のドリブルは悪いプレーで叱られた。局地戦などは教えるよりも遊びでいいからゲームでプレーして自分で覚えて上達するのが一番だが、指導者は教条主義でそんな悪いサッカーは指導無用、遊びなどもっての外だったので、海外から、日本サッカーは教育臭が強い。欧米の子供が(遊びで自然に)身につける感覚や技能、戦術が選手に欠けていると指摘されたが、改善はされなかった。
 畳みの上の水練ではないが水泳選手が水中で育つようにサッカー選手はサッカーの中で育つのが自然だ。公式サッカーの由来は遊びのサッカーで技能は共通だから、好きこそものの上手なれ、堅苦しい教育サッカーよりものびのび思いどおりに出来る草サッカーに熱中して上手くなるのは当然で、私も中学時代にそんな例を何人も見た。
 たかが遊びと言うなかれ!選手は英語でプレヤー、遊ぶ人。遊びはやらされるのではない。自分がやりたくてやる。これが肝要なサッカーの核心で、ゲームでも自主自発、自由な発想工夫でプレーする。それは公式サッカーになっても変わらなかった。本場欧州のサッカーにはそうした何でもありの自然発生的な遊びのサッカーから長年かけて戦いながら互いに進歩し洗練されて発展してきた根強い歴史と厚みがある。
 明治時代、日本に入ったサッカーは学校教育に加えられキック(パス、シュート、クリア)とチームワークのスポーツ、蹴球として各地に伝えられた。戦後でさえチームプレー以外の一寸とした足技は生意気、技に溺れる、ドリブルは良くないと嫌う始末で上手い選手は少なく組織のレベルも上がらなかった。ブラジルのようにサッカーがまるごと伝わって遊びで広まり、面白さから個人の技能、戦術力が向上するとよかったのだが、蹴球は言わば選別と教えられるもので作った教育サッカーだから、野球とベースボールが違うように蹴球も本場のサッカーと違った。教育は遊びと対極、チームプレー一点張りで制約管理するので選手に自由や自主創造性が乏しい。
 でも私は武道などと違ってサッカーの源は遊びで試合は選手が考えてやるものだから、指導者なしで出来るようにしっかり自立して自由に考えて活動しもっと利口であるべきだと考えた。技術戦術の多種多彩化や底上げとスポーツの楽しさも絶対必要だ。
 そこで枚方FCは既成教育を全て白紙に戻しゼロから出発した。子供の成長、能力の発達に合わせてサッカーの進化の過程を辿るように、草サッカーの代りにミニゲームを応用し毎回練習法を独創。最初から試合は少年たちが自分で自由に考えて進め、必要な実力をつけ向上させるべく試合に直結した妨害してくる相手ありの実戦的練習を多用、少年たちが自ら判断工夫し体験の中で技術戦術などを一体として自得するように図ったところ、初めは幼稚で他チームから馬鹿にされたが成長するにつれて次第に追いつき追い越して見事に成功。それぞれの個性的でハイレベル、創造性豊かな従来と違う選手に育った。週3回の練習で体力不足にも拘わらずチームも大会で優勝した。
 成果を発表して改革を提言したが、世間は正解や最良、近道を教えてやらせるのが教育だと信じているから、教えないで少年たちの自主的向上を図る育成法は前代未聞で少数の具眼の士に注目されたに留まった。だが日本の常識は世界の非常識!目を転ずればサッカーの本場欧州でも試合は矢張り枚方のように選手たちが考えてプレーし互いのアイディアでゲームを進め、そこに監督の作戦指令が加わり選手が優秀なほどチームもハイレベルになる。それがサッカーの本質、世界の常識だったからである。
§日本式教育の弊害、やらされるのでなく自分からやる!
 ドイツWカップで日本は敗退。選手はジーコ監督に自分で考えて自由にやれと言われて困った。ブラジルならそれでいける。日本でも枚方の少年たちは大丈夫だが、よそは大人でもこれ迄どおり指令されないとチームがまとまらない。世界の一流は大人のサッカーで自由奔放、実に強かだったが、放任で地が出た日本選手は主体性、自発性、創造性が不足、未熟で幼く見えた。何故選手が未熟なのか、この際、選手の基盤から大略がほぼ出来上がる成人まで10数年間の少年期教育を問題にすべきだったが、監督采配だけに非難が集中して不問に付された。重要性がわかってないのだろう。
 スポーツと教育といえば、よく目にする文武両道で優れた学校などという時の武はスポーツを指す。日本のスポーツ教育の底流には今も武道、戦闘、軍隊的なものが顕在で、サッカーでも伝統的に広く行われてきた忠実を旨として指令管理する軍隊的教育が選手とチーム強化に有効だった。生来、自主自発性、創造性が弱く同質化集団に安住したい国民性の日本人にもってこいの教育だっからである。しかし所詮、弱点カバーの対症療法に過ぎないので、そんな国民性の弱点は却って助長され選手を幼少から枠内に囲ってきた為に、国際的には些か異質のままで今日まで来てしまった。
 今回Wカップで露呈したようにこれでは頭打ちで、進化を望むなら成人ではなく子供の頃から教育法を変えて根本的に欠点を正し、選手が自立して自由に考え活動する本質的サッカーに変わらねばならない。サッカー本来の面白さを味わうためにも必要だ。産業界でもワンマン社長と服従社員だけの会社は駄目で、社員も一人ひとりがやる気で努力し自主  裁量で工夫開発していく会社でないと発展できない。社員もその方がやり甲斐があって楽しい。そういう社員教育、社風作りが大切で、それと同じである。
 例えばサッカーは多様だが、レベルの高い試合ほど難しくて、ハイレヘルでサッカーをトータルによく理解している円熟したいわゆる大人の選手が必要になる。環境資質も関係するが、日本式の教授学習でなく経験を積み自ら人間的にも向上してそうなっていくのだから、成人でなく子供の頃から早く自主的になって、12、3歳頃には既に少年なりに自立していて、かなりの技能とセンス、戦術力を身につけていて欲しい。
 自立といえば以前、猛練習で鍛えられたしっかり者の女子バレー代表選手がイタリアのプロに入り、現地で初めて、やらされるのでなく自分からやらないと駄目だと開眼して自立、帰国後、主将として活躍した。彼我の自立度の違いがよくわかる。チーム本位で一致団結の日本は個人の自立に無関心で盲点だが、欧米人は早熟で自我、主体性が強く自立していて積極的にやっていくので早く一人前になり20歳過ぎで成熟する。
 一方、日本は教育好きで子供は無知無能だからと全て教え教わるので、小学生は先取り教育のお陰でミニ大人の日本が子供っぽい欧米に勝る。だが教わったとおりにするだけでは身につき方が浅い。実戦に必要なしっかりした感覚技能が不足し応用力、創造力がない。そんな受け身が10年くらい続いている間に、自主的に実力をつけた欧米の少年にやがて追い越され、ユースで彼我の内面的差違が目立ってくる。(よそと枚方の関係と同じで育成法のせいである。但し私のは独創で欧米の真似ではない。)
 日本人も20歳頃には自主的になるが一人前になるのが遅れ、成熟が30歳前後になり殆どの選手が大成できない。だから代表でさえWカップで見劣りした。是非早い自立を図るべきだ。自立すると精神力が強くなり度胸がつく。やる気が出て頭が働き戦術力が向上しプレーが変わる。サッカーがもっと面白くなる。得点力も増すと思う。
§総括.創造性教育のすすめ、失敗は成功のもと!知識でなく智恵!
 ゲームの中で子供は遊びながら、選手は戦いながら向上する。遊びから選手への成長を助けるのが私の育成法で、選手は自主独立、自発自得、従来の教えてやらせる教育でなく、体感(実感)体験、創造性教育の理念、手法が必要不可欠である。
 子供たちはミニゲームが面白くて熱中する。そこから自分からやる=自立へ誘導。あまり教えないで、試合も練習も自分で見て感じて自由に頭脳を働かせてプレーし、お互いのアイディアで進めるように習慣づけ、いやでも工夫し上達せざるを得ない実践的練習法をコーチが考案、実戦的感覚技能などの戦闘力、判断工夫、戦術力、創造力などを一体として強化。練習は試合と直結、分習よりもまるごと全習!
◎ ちなみにコーチに創造力がないと創造力のある選手に育てられない。先ず先入観、常識や既成概念などを捨てて白紙になって、自分で観察し感じとり考えること。アイディアは年齢相応でよい。試行錯誤は付き物で、それを許す自由な環境が必要だ。
◎ いつも教えてやらせていると、教示を待つ癖がつき頼りにして自立しない。年少から現場で揉まれた叩き上げが良い職人になるように、選手は自ら挑戦し疑い考え工夫し試行錯誤して正解を得る習慣をつける事が大切だ!失敗し苦労して身体で覚えるからこそしっかり自分のものになり応用、判断、臨機応変の対応打開力、実力がつく。
 一人ひとりが智恵を働かせてプレーするサッカー本来の姿になれば、初めて真の日本人のサッカーが生まれる。自分からやると面白い。楽しくないとサッカーではない。
 ☆ まだJリーグが無かった頃、異色の枚方はプロ養成などと言われたがそんな意図も功名心もなく、サッカーが上手くなれば幸せだから、皆をハイレベルにしてやりたい一心だった。と言っても此処で完成ではない。ユース以後、何処のクラブでもどんなサッカーでもプレー出来るように基礎作りをしたわけで、培った自主性、創造性はサッカーだけでなく人生で必ず将来役に立つ。クラマー・コーチは言った。「勝利だけを目指すと醜くなる。美しさだけでは勝てない。我々は美しさが感じられる勝利を目指すべきだ!」枚方FCは、皆、上手でセンスが良く頭を働かせてベストをつくす。そんなクラブになって欲しい。勝て!美しく!幸運を祈る。
                           (完)

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