韓国 2002年12月28日
韓国の強さと国民性

韓国選手は驚くほどタフで、プレーの振幅やテリトリーが広く、テクニックも向上していた。レフリー買収や誤審の問題以外では、世界各国から賞賛された韓国だが、私見では、接触プレーは殆どすべて反則まがいだった。そのため、私には、彼らの強さがどうしても薄汚いものに見えて仕方がなかった。そんな見解など、今時、現実的でない、ひ弱過ぎて話にならないと言われるかも知れないけれども、韓国サッカーは本質的に、美しさとか芸術性とは無縁のものだろうと思う。
世界を驚かせた彼らの勝利を目指す強烈な意欲、執念は、もともと韓国人の国民性の特質なのである。
韓国人と結婚して韓国で暮らしている人の著書とか、いろんな情報によると、韓国語は感情とその表現に関する言葉が、日本語よりもいろいろと豊富にあり、そのせいか韓国人は口が達者で、口喧嘩も強く、韓国の外交は日本より巧妙である。ところが、それにも拘わらずというか、案の定と言うか、日本語の思いやりに相当する言葉は無いのだそうである。
もう一つの特性は、人間関係、コミュニケーションや感情などの面で、(自分が得するように、有利になるようにしたい、といった事も含めて)、他人に勝ちたいという気持ちが、日本人よりも強烈な事である。
その上、前記したように、思いやりに欠け、他人への気遣いが乏しいとなれば、韓国人が自己主張がはっきりしていて強く、個性的なのも当然だろう。例えば、意見を求めると、日本人は、皆、同じような事しか言わないが、韓国人は十人十色(じゅうにんといろ)、それぞれ意見が違う、と彼らは自慢する。確かに在日韓国系タレントの言動など、その通りだし、私の経験からもそれは言える。受験戦争も日本より韓国の方が激しく、受験生も親も競争心、ないし闘争心が強い。

勝ち抜いたエリート中のエリート

この国民性は選手の育成、選出で厳しいシステムを作りあげた。韓国ではセンスがいいとか、上手いだけでは見向きもされない。韓国サッカー界は蹴球協会公認の指定校系のエリートと、それ以外のアマチュアとに分かれていて、無論、エリートでないと、代表やプロになれない。
先ず指定校の小学校サッカー部に入って、何回かある全国大会でベストフォーに入れば、指定校の中学サッカー部に入れる。そこでまた、大会で勝ち抜いて上位になれたら指定校の高校サッカー部へと進み、同様に大会ベストフォーで大学サッカー部に進める。ただし、部員の数に制限があるので、無条件で入れるわけでは無く、そこでも競争に勝たねばならない。
これを四強制度と言って、サッカーで進学し社会で生きて行くには、必ずクリアしなければならない。篩(ふるい)にかけると言うより、エッセンスだけが残るように、何回も洗っては絞りあげるようなシステムで、韓国選手はこの中で一貫して、勝利への執念や勝負強さをしっかり身につけていくわけである。
日本にも推薦入学はあるが、こんなに徹底したものではないし、日本人は韓国人ほど、勝ちたい気持ちをむき出しにはしない。そこがまた、彼らは、気に入らない。「日本人は本音と建前が違っていて、使い分けるから嫌いだ!韓国人は裏表がない。いつでも、何事でも、本音でやるんだ!」、と公言して、意志、欲望、闘志のままに行動して憚らない。

勝利がすべて!反則も技のうち

何が何でも勝つ!勝利だけがすべて!だから反則技ありは当たり前!遮二無二、相手を打ちのめしてやろうと闘志満々。何の躊躇も迷いもなく、きわめてシンプル、露骨、勝つ野性的!強いのも道理というほかない。
勝つためには手段を選ばないから、レフェリーに見えないところで相手を痛めつけることもよくやる。日本選手はこれでずっと苦しめられてきた。
例えば、三浦カズは背後から尾骨の辺りに膝蹴りを食って、それから上手くプレーできなくなってしまった。フランスWカップの前で、人々もマスコミもカズの衰え、力不足と攻撃し、結局メンバー落ち、帰国、監督が非難されたが、原因は日韓戦で韓国選手に狙い撃ちされた怪我だった。
以前、オリンピック柔道で、優勝候補の日本選手が韓国選手に肘の関節技で逆を決められて敗れた。いわば非紳士的行為で、普通はやらないものだから油断があり、不意打ちにあったわけである。韓国に限らず、外人との試合では何が起こるか判らないから、注意して掛からないといけない。


近江 達

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