韓国2 2003年1月14日
 新年おめでとうございます。皆様のご健康を祝し、一層のご活躍を期待します。枚方フットボール・クラブをよろしくお願いします。
 昨年は、小生、年間約50試合で通算16得点をあげ、65歳から始めた高齢者サッカーで過去最高記録を立てる事が出来ました。いつもは6点から10点どまりで、LWかCFをやってますが、CFは、中一の初試合でのたった1回しか経験がなかったので、研究中です。あと何年出来るかわかりませんが、次のゴールを目指します!よろしく。

                 2003年  平成15年元旦  近江 達      

◎ では、昨年からのWカップの記事を続けます。

韓国にとって重要な試合はバトル?

 ベトナム戦争には、国連軍として、アメリカ以外にいろんな国の軍隊が参加した。その中で最強と言われたのが韓国軍だった。所が、韓国兵たちはベトナムのために身を呈して勇敢に戦ったにも拘わらず、ベトナム人に嫌われた。理由は不明だが、ベトナム人の気持ちは何となく解るような気がする。
 50年前、日韓定期戦が始まったとき、船で日本海を渡って来た韓国選手達は、「何が何でも日本に絶対勝たねばならない。万一、負けたら、帰る事は出来ないから、海に身を投げて死のう!」、と文字どおり決死の覚悟でプレーしたと、当時の事を同顧している。
 かつて、日本も軍事主義の頃、お国の為に死ぬ気で試合に臨めと教え、教わり、自他ともにそれを美しいものとして疑わなかった時代があった。
 彼らのプレーぶりにそんな事などを思い合わせると、サッカーの試合はゲーム(遊びと云う意味も含んでいる)と呼ばれているが、韓国選手にとって重要な試合は、恐らくゲームでもマッチ(試合)でもなく、バトル(戦闘)のようなもので、試合相手はスポーツのそれよりも、戦争での敵に近いものなのかも知れない。


韓国サッカーのプライド

 古来、韓国人は誇り高い民族だと云う説がある。それには異論のある向きもあると思うけれども、サッカーに関する限り、確かにそれは言える。
 例えば、日本人は、Jリーグに来た外人に気を遣って、チームの為に彼らが良いプレーが出来るように協調するし、彼らから何か学ぼうと心掛ける。
 それに対して、韓国は正反対である。プロリーグに来た外人は、すべて韓国に合わせなければならない。ここは韓国だから我々が変わる必要はない。伝統ある強力な韓国流サッカーと云うものがあるのだから、外人の方が韓国選手に合わせるようにプレーして、韓国選手を引き立てるように努力すべきだと言うのである。彼らは、そんな事は当たり前ではないか!何の問題もないと胸を張る。 


ヒティング効果で韓国サッカーは変わるか?

 そんな韓国サッカー界が、Wカップのためにプライドを捨てて外人監督を呼んだのだから、これは実に歴史をひっくり返すような出来事だった。
 得意の政治力で誘致には成功したものの、開催国に決まった以上、韓国としては、プライドにかけても歴代開催国なみに、少なくとも一次リーグは突破しなくてはならない。だが、如何に強気、ゴリ押しの彼らでも、勝ち残れる自信は持ちかねたのだろう。これ迄出場したWカップの成績が、自他ともに許すアジアの雄としては、決して威張れたものではなかったからである。
 おまけに、日頃、見下してはいるが、内心いつも気にしている日本が伸びて来た。長所と短所は表裏一体で、国内でも韓国サッカーは精神力と体力しか無い、これでいいのか、と云う声が以前からあり、目標達成に向かって代表強化をどう図るべきか、恐らく相当悩んだあげく、清水の舞台から飛び降りるつもりで、全てを託したのがオランダのヒディング監督であった。そして、この人選、決断が、ものの見事に的中したのである。
 流石は、あのレアル・マドリッドを率いてトヨタ・カップ優勝、フランスWカップ四位という実力者。幸運にも恵まれたが、彼でなければ、韓国のベスト・フォーは無かっただろう。
 もしヒディングが日本の監督だったら、日本も、もっと活気ある攻撃を見せたに違いない。
 今後、この大成功をきっかけに、韓国サッカーはどう変わるだろう?
もし良い方向に変わる事が出来たら、一段階レベルの高い黄色人種のサッカーに進化して行ける可能性がある。だが、彼らの灰汁(あく)の強い国民性を思うと、たださえ怒り肩で姿勢のいい彼らのこと、一層ふんぞり返るだけで終わってしまうかもね!?という気もするのだが。


近江 達

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