ブラジル 2003年2月28日
ウォーキング・フットボール(サッカー)から進化したブラジル

今では伝説となってしまったが、旧き良き時代、ブラジルのプレヤーがボールを持つと、ゆっくりドリブルしているのに、相手はなかなかボールを奪い取ることが出来ない。それでウォーキング・フットボール(サッカー)という言葉が生まれた。私は以前、映画で見た記憶がある。多分、ガリンシャ(ペレの前のスターで片足が短いのに長時間キープ出来た。)の頃までだと思う。
その後、欧州勢はブラジルを目標に個人技の向上に努力し、当然、守備力も強化された。その結果、年々激しくなっていく妨害に対して、ブラジルも対抗上、スピード・アップと組織プレーに進まざるを得なかった。そして1970年、メキシコWカップで三度目の優勝を遂げたが、それは、個人技ではワールドクラス、しかもハイセンスでクレバーな名手たちが繰り広げた完璧なチームプレーで勝ち取ったものだった。いまだに、ペレ、トスタン、リベリーノなど、多士済々だった当時のチームを史上最高と評価する声が聞かれる。

アフリカとブラジル
攻守がスピードアップしチームプレー化した現代でも、個人技の優れた選手は、南米、東欧、西欧から、最近のアフリカ勢まで決して珍しくない。だが、ブラジルのように全員が巧みなだけでなく、戦術面でもハイレベルというところは一寸見つからないし、一流選手のボール・テクニックや柔軟で弾力的な身のこなし自体、個人の在り方が変わった今日でも十分魅力的である。
さて、今回のWカップでのブラジルはどうだったかと云うと、当時は、あの定評のあるブラジルにしては少々物足りなく感じた。しかし、あれから月日が流れ、改めて振り返ってみると、他と比べれば、やはりブラジルは抜きん出ていたと言わざるを得ない。その差は、ブラジルは黒人が多いので、アフリカと比べると歴然である。
例えば、アフリカ選手がときに見せるテクニックや身体能力は、確かに驚くべきものがあった。ただし、意地悪な言い方をすると、それは生まれつきの器用さ、動物的能力であって、試合中、出くわした状況に応じて、その都度、持てる能力を発揮しただけと云った感じが強い。
日本古来の心技体で言うなら、技体は申し分ないが、広い意味での心に欠点があり、気まぐれと云うかムラがあって集中を持続出来ない。さらに知的でなく、チームワークに欠け戦術的能力に問題がある。
例えば、カメルーンのエムボマは期待を裏切った。と言っても本人のせいではない。異国の日本でさえ、皆が彼に得点してもらおうと、彼にボールを集めたので大活躍出来た。まして今度は母国代表チームだから、もっと活躍するに違いないと誰もが思った。ところが、さにあらず。チームに何人も欧州で活躍中のプロがいたのに、一向にパスをくれなかったので仕事にならなかったのである。経済事情も絡んで、如何にもアフリカらしい顛末だった。

アフリカ選手の身体能力の優越感は、オリンピックの百メートル走決勝を黒人が占める事を見ても明らかだが、多民族国家のブラジルの黒人も、その昔、アフリカから奴隷として連れて来られた黒人の子孫である。だから、ブラジル選手の運動神経の良さは当然だし、アフリカが将来、ブラジルを凌駕する日が来る可能性もある。
ただし、それには精神面の改良を初めとして、チームプレー的な戦術面の進歩などが不可欠だが、彼らにとって最も苦手な事なので、彼らだけでは至難の業だろう。
ブラジルの場合は、二十世紀初期に白人サッカーが起こり、後から黒人が参加していき、現在のようになったのは三、四十年前のことらしい。つまり白人サッカーで基盤が作られ、そこに黒人の長所が加わって、ハイレベルのブラジル・サッカーが出来上がったのである。ジーコ、ドゥンガなどが良い例で、多民族国家という事が大きな要因になっている。黒人だけだったら、とてもこうは成らなかったに違いない。
でも、勝敗は時の運だから、今後、アフリカ勢がブラジルを破るとか、1996年オリンピックのナイジェリア優勝のように、ひょっとしたらWカップ優勝だってないとは言えない。だが、サッカーの質的内容や完成度でブラジル・サッカーを凌駕する事は、そう易々とはいかないと思う。

ブラジルの智恵
折角巧技を持ちながらチグハグに思えたアフリカとは対照的に、ブラジルは全員が勝利を目指してイマジネーションを働かせ、積極的にいろんなプレーを試み、そこで各自それぞれの技能を十分に発揮した。今改めて思うと、誠に見事で尊敬に値する。
それというのも、彼らはレパートリーが広く技能に自信があり、プレーするのが楽しい。だからこそ、こうしてみよう、あれをやろうと、イマジネーションが湧きアイディアが閃くのである。大体、レベルの低い選手はあまり頭が働かない。仮に頭に浮かび考えられたとしても、下手だと、自分が出来そうにないような事は実行してみようとは思わない。プレヤーとはそういうものだ。
無論、チームメートへの信頼も大切で、自分がやろうとしている事に味方選手が十分応えてくれる、と思っているから出来るのである。卑近な例をあげれば、チラリと見て、得点出来る選手になら、ラストパスを送ろうと思うが、得点出来っこない選手だと、止めておこうと云うことになる。ワンツーにしても、受け手が上手く返してくれると思うから敢行する。返してくれそうになければやらない。パス・アンド・ゴーで走り込む所は、当然、相手がパスを返せるスペースでないといけない。お互いに呼吸を合わせあう事が出来るレベルが望ましい。
ブラジルが勝つと、よく卓越した技術、個人技の勝利などと言われるが、実は、ブラジルの強さの原動力は、それよりも、こうしたサッカーに関する頭脳の働きの良さにある。
つまり、センス、予測、読み、判断工夫から、イマジネーション、アイディア、閃きなどが優れている事、同時に、チームメートもそれに当意即妙、咄嗟に適切に合わせ応えられる能力の良さにある。
言うまでもなく、勝負強いチーム、選手が必ず持っている、相手の弱点や隙を突く、ミスにつけ込む、といった抜け目の無さも十分に備えている。駆け引きから、相手を騙す、引っかける、裏をかくなどのズル賢さに至っては、ブラジル選手なら誰でも、皆、持っている。それらは子供の頃から、ゲームや日常生活の中でしっかりと身に付け磨いていくブラジル人の武器であり、特長なのである。
要するに、サッカー的に頭の良いプレヤーが万事上手くやるから、良い仕事ができる。日本も是非、子供の頃から技術と同時に頭脳の訓練を続けて行かねばならない。



近江 達

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