(5)8歳の出会い、恩師、江本先生 近江 達
  私のサッカー人生は小学三年生の時の担任、江本先生との出会いで始まった。若い長身で眼鏡の先生は絵が上手で、例えば天人の羽衣の話だと、飛翔する美しい天女を赤や青、緑などの色チョークを使い黒板いっぱいに描きあげて、それを背景に授業を始めるというユニークな先生だった。優しかった先生は私も絵が得意だったからか、達ちゃん、達ちゃん、と目をかけてくれて、休み時間になると、よくサッカーで遊んでくれた。これが私の生まれて初めてのサッカーで、回を重ねるにつれて次第に面白くなり、サッカーが性(しょう)に合うような気がして足技に興味をもつようになった。
 私の母校、六甲小学校は校庭が広い事で知られていたが、何しろ児童も二千人以上いたので、休み時間は子供達でいっぱいになる。その中でサッカーをやろうというのだから大変だった。一度、ボールを追っかけてほかの子と思い切り衝突して転倒。相手の顔を見て立ち上がろうとしたところで気を失ってしまった。気がついたら保健室のベッドに寝かされていて、これがサッカーで体験した最初の脳震盪だった。
 私のことだから、先生との出会いがなくても、いずれはサッカー好きになったと思う。でも10歳迄に始めるのと中学生以後とでは、身のこなしや感覚、技術などにかなりの差異が出来るから、先生のお陰で早くサッカーを始めることが出来て幸せだった。
 子供とサッカーで遊ぶ先生はもう一人いた。おとなしい江本先生と正反対で、赤ら顔のその先生は見るからに熱っぽく子供相手でも真剣で、よくムキになってドリブルで走り廻っていた。その後、私が中学生になってから東遊園地で、偶然、この先生の試合を見た。LBで何度もスライディング・タックルを敢行したが、相手とすれ違ったり簡単にかわされたり散々だった。むろん、六甲小学校で見た得意のドリブルどころではなかった。意外だったが、あるいはLBは本職でなかったのかも知れない。

遊びで始まったマイ・サッカー
 こうして休み時間、遊びのレパートリーにサッカーが加わり卒業迄続いた。先生は職員室からサッカーボールを持って来たが、児童だけだとテニスボールを使った。それでも結構面白くて日増しにサッカーが好きになっていった。六年生は体育でサッカーがあり、ゴール・キックやスローインなどを教わった。だが何しろ一学級50人が紅白に分かれてのゲームだから、大勢ボールに群がってしまう。遊びのサッカーだと少人数だからプレーし易いが、こんなに大勢集まるとプレーどころでない。そこで私はやり方を変え、密集から離れた所にいて、出て来たボールを大きく蹴り返すことにした。これが大当たりで、皆が驚くやら先生が感心するやらで私は得意になった。
 休み時間は野球も盛んだったが、ボールを手で打つのが味気なく、ドッジボールは好きでなかった。六甲小学校はサッカー部が無く、体育の授業でも技術的な事は何も教わらなかった。それでもサッカーで遊んでいるうちに次第にボールに馴染んで来て、五、六年生になると、うちの方で遊ぶ時には中学生が加わることもあり、見様見真似でフェイントしたりドリブルでかわしたり出来るようになった。簡単なインサイドの切り返し程度だったが、一年下に中学サッカー部員の弟で、ドリブルから急停止したり、足の裏でボールを止め180度ターンしたりして抜くのがいて参考になった。

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