(7)ニュース映画 近江 達
ニュース映画
 テレビの無かった時代、映画館では娯楽映画の合間にニュース映画を数分間上映していた。神戸元町の阪神会館にはニュース映画専門の映画館があって、よく父に連れて行ってもらった。そこでは報道各社が今のテレビのニュースよりもう少し本格的な映画に製作、編集したものを集めて、海外ニュースと一緒に上映していた。
 一回の上映時間は一時間くらいだった。戦争中は、普通のニュースでも国策的な色合いが濃く、当然、戦闘や爆撃などの場面があり、有名な竹脇アナウンサー(俳優、竹脇無我の父)の畳みかけるような名調子が今でも耳に残っている。いつだったか、たぶん戦後と思うが、海外のスポーツニュースで、ブラジルの鬼才、ガリンシャやイングランドの名RW、サー・マシュースのドリブル突破も見たような気がする。

神憑り(かみがかり)軍国主義教育
 「窓を明ければ港が見える。メリケン波止場の灯が見える」。名曲、別れのブルースさながらに、三階の教室から神戸港が眺められた。いつ見てもロマンチックな懐かしい港、外国航路の大型客船は優雅で美しく、出港は素晴らしく感動的だった。
 照れ屋の私は授業中もあまり手を挙げない方で、学芸会の劇に出た事など一度もなかった。でも、「何かに出なければ」と先生に言われ、「それなら絵で」ということになり、舞台で大きな紙に墨で横綱の土俵入りを描いた。うまくいったが、あとが悪かった。無事に済んだのが嬉しくて階段を飛びながら降りて行ったら、エンタツというあだ名の先生と運悪くバッタリ出会ってしまい、思い切り横っ面を張り飛ばされた。
 折しも、2.26事件、5.15事件など相継ぐ要人暗殺やクーデターから、政治の実権は既に軍部が握っていた。私が小学三年(昭和12年)の時、遂に日本軍は中国大陸に本格的に進攻して、世間は見る見る軍国主義一色に塗り潰されていった。富国強兵を目指して教育、指導はすべて軍隊式で、先生が生徒を懲罰で殴るくらい日常茶飯事、今の人たちには想像もつかない時代だった。たとえば、小学校は国民学校、学童は小国民と呼び方が変わり、「我が国は万世一系の現人神(あらひとがみ)である天皇が統治し賜う神国で、陛下の赤子(せきし)である国民は天皇と国の為に身命を捧げねばならない!」、と教えられた。しかし、人である天皇が同時に神である筈がない。たとえ、政府、軍部であろうと、神だの神国だのと、神話を事実として教え込むとは言語道断、土台無茶だが、そんな事を言おうものなら忽ち不敬罪で捕まるから皆黙っていた。

空中でパンクしたマイ・サッカーボール
 それでもまだ遊びの世界に変化は無く、私はサッカー好きが高じて、六年生になると革のサッカーボールを買ってもらった。当時は茶色の縫いボールしかなかった。初めてのマイボールが嬉しくて学校にも持って行ったが、うちの方でも石垣に蹴ってぶつけたり散々酷使したものだから痛み方が早かった。どんどん革が擦り減り、そのうちに縫い目が綻びて中のゴムチューブが見え始め、それでも蹴っていると、体育の紅白ゲームの最中、空中に上がったボールから突然チューブの一部が瘤みたいにはみ出て来たと思ったら、次ぎの瞬間、ボールはものの見事にパンクしてしまった。

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