(12)予習不足 近江 達
予習不足
サッカーの練習は放課後から5時半迄で、さほどきついとは思わなかった。しかし日曜、祭日も休暇中もずっと練習で、無いのは、夏休みの終わり一週間と正月三が日、中間テスト、期末テスト前の一週間だけだったから、この休みなしはきつかった。
 7時半過ぎに帰宅。入浴、食事してから予習にかかると、朝が早いのと練習疲れ10時には眠くなり、途中で寝てしまうことが多かった。予習不足だと、授業中、当てられて、うまく答えることが出来ず、よく立たされた。
そんな体たらくだから小学校のように普段の学習で成績を評価されたら、間違いなく劣等生で決まりだったが、さいわい中学ではそれはなかった。テストの成績がほぼそのままその学期の成績評価になったのである。となると、大きな声では言えないけれども、日頃がどうであろうとテストでそこそこの成績さえとればよいわけで、部活のせいで予習が出来なくてお手上げだった私は大助かりだった。
練習はテストの一週間前から無くなり早く帰れるので、暗記ものは範囲が狭ければテストの前日にやることにして、他の科目を一週間に割り振りすれば、別段難題は出ないから充分準備できた。山をかけないで一通りやっても、たいてい夜九時迄に終わって早く寝ることが出来たので、普段よりもテスト期間中の方が楽だった。

不思議に好成績だった二学期中間テスト
三中は他の試験の成績は公表しないが、二学期の中間テストだけは、氏名だけ伏せたクラス全員成績一覧表を教室に張り出して、教師と親との面談があった。一年生のそのテストで私は運よくクラスで一番になった。その時だけでなく、組み替えがあった二年生、三年生でも二学期の中間テストはトップになった。読者は、私が成績が公表されて親との面談があるから頑張ったのだと思われるだろうが、私はいつでもベストをつくそうと心掛けていただけで、そんな気持ちはさらさら無かった。それに生まれつき、トップになろうとか、誰それに勝ってやるぞ、とは思わない性分だった。にもかかわらず何故か、二学期の中間テストはいつもうまくいったのだから、我ながら不思議である。(ちなみに四年生の二学期からは戦争のために勤労動員で軍需工場行きになって、授業もテストもなくなり、四年生終了で卒業になってしまった。)
 それ以外の時期のテストは多分トップではないと思う。通知表の重要科目(英数など六科目)は300人中の20番内で、六組だから、平均すると50人中、4番内ということになる。全科目だと、苦手の教練や体操などが入るので、300人中、50番程度だった。
 そんなわけで、先生たちはきっと私のことを、普段はさぼりで授業中に当てると、ろくに答えられないくせに、試験の成績だけが良いいやな要領屋だと思っていたに違いない。
テストが終わると、すぐに部活が始まった。テスト明けの練習では私は必ずぼんやりしていて、上級生に怒られるよりも笑われた。他の連中はいつもと変わらないのに、何故か私だけ普通の調子に戻る迄、二、三日かかった。

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