(21)水しぶきを上げてスライディング・パフォーマンス 近江 達
§水しぶきを上げてスライディング・パフォーマンス
 戦後第一回インターハイの初日、京大農学部グラウンドの雨は試合直前に上がった。松江高校の試合相手、広島高校の選手たちはゴール前に集合して彼らの出陣歌、「銀燭ゆらぐ」を合唱して意気軒高、歌い終わると、ゴールラインに横一線に間隔をあけて並んだ。どうするのかと見ていると、ややあって一斉に雄叫びをあげながらハーフラインに向かってスライディングを敢行、すぐさま立ち上がるやスライディングを繰り返し、水しぶきを上げて前進して行った。もとの赤が色あせて肉色になった如何にも蛮カラの旧制高校らしいユニフォームがみるみる泥まみれになり、ハーフラインに着いた広島勢はびしょ濡れで松江チームと対面、挨拶して試合開始、キックオフとなった。試合は実力どおり広島勢が縦横に駆けまわり松江が2−0で敗れた。点差が開かなかったのは雨のお陰だった。大会決勝戦は一頭地を抜いていた広高が、これまた伝統ある強チーム六高(岡山)と対戦、延長戦になり原爆の生き残り広高が優勝した。
 久しぶりの大会で中学生を含めて見物人が多く、試合前に歌うチームは他にもあったが、スライディングは広高だけで未だに語り草になっている。いかにも旧制高校らしいが闘志高揚に加えて、相手を威圧する狙いもあったのだろう。この種のパフォーマンスはラグビー・ブラックスがやるウォー・クライが有名で、英国系のチームの中には試合直前に選手同士、互いに頬を張り合って気合を入れるものさえある。

§生徒さんだから!
 インターハイで京大周辺には全国から集まった旧制高校生が溢れた。例によって弊衣破帽、腰に手拭、寮歌を歌うやら、白の羽織り袴の応援団が闊歩するやらで、自称、南蛮軍の高知高校生に至っては市電の屋根に上って騒ぐ始末!一方、郊外電車の自動ドアに下駄を挟まれたり、エレベーターに下駄をぬいで乗ったり、田舎者丸だしのお笑い草もあった。そんな行状に人々の反応は、どうだったかと云うと、もともと旧制高校の地もと(城下町が多かった)では多少羽目を外しても、「生徒さんだから、悪気は無かろう」と許してくれたものである。京都人も三高生に好意的で戦前からインターハイに慣れていたから、各地から来た高校生たちの所業にも寛容で、警察でさえも大目に見てくれた。戦前の名残で昭和21年はまだ古き良き時代だったのである。

§蒸気機関車とトンネル
 連休には国鉄(JR)で帰省、腹一杯食べて米や芋を松江に持ち帰り、寮で銀飯(白米のご飯)を炊いて塩を振りかけて食べるのが何よりの御馳走だった。まだ汽車、つまり蒸気機関車が石炭を焚き煙突から黒煙を吐いて列車を引っ張って走った時代で、電化時代の今では想像も出来ないだろうが、夏、冷房が無いから暑くて窓を開けておくと煤煙がどんどん入って来て、トンネルに入るや否や物凄い煤煙と熱風で死にそうになった。だからトンネルに入る合図の汽笛が鳴ると乗客は大急ぎで窓を閉め、トンネルを出るとすぐに窓を開けたものだ。私が乗った伯備線は中国山脈横断の為トンネルが特に多いので、窓際に黒い煤の粒が一杯転がり顔も鼻も衣服も黒く汚れてしまって大変だった。汽車の旅と言うとロマンチックに響くが実態はそんなものだったのである。

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