(23)山口高校定期戦、手数省いて失敗! 近江 達
§山口高校定期戦、手数省いて失敗!
 冬しっかり雪が積もる山陰地方はサッカー後進地域で、近くの試合相手は出雲大社がある町の大社中学OBだけだった。松高での私の初試合は右ウイングで出場、何度もライン沿いに突破してセンタリング、得点につながった。目立ったのはハーフの米原主将で、おとなしいが勇敢でスピードがありテクニックも優れ、バック陣も堅守だったが、肝心のゴールキーパーがなくて素質のない素人をキーパーに仕立てるしかなかった為に、この試合は無失点だったが、あとあとチームの致命的弱点になってしまった。
 高二の春、山口高校との第一回定期戦で松高蹴球部は山口に初遠征。山高はあの広高に勝ったという強豪だった。私をマークした山高の選手は別段巧くも強くもなく、堅実にマークしタックルしてきただけだったのに、私は思ったほど巧くプレー出来なくてチームの期待に添えなかった。相手に押さえられたのではなく、なまじ自信があったばっかりに無造作に抜こうとしたのが間違いで、平凡な相手でもちゃんと間合いをとって、フェイントなり駆け引きなり然るべき手数をかけるべきだった。
 私が良かったのは、ハーフラインから放った超ロングシュートがゴールのバーに命中して、山口の名キーパー安富を慌てさせたのと、最後に抜き切ってセンタリングしたのが得点に結び付いた事くらいで、5−1で負けてしまい、まことに面目なかった。

§第二回インターハイ、松高初の西日本大会準優勝!
 いよいよインターハイになり、私は背番号10、左インナーで出場した。当時はWMシステムで、M型配置の守備陣は、最終ラインが3人のスリーバック(左右フルバックとセンターバック)、その前が2人の左右ハーフバック(サイドハーフ、今のボランチ)。攻撃陣はW型で、前列のフォワードが左右ウイングとセンターフォワードのスリートップ、後列が左右インナー。個人差があり作戦にもよるが、ハーフの仕事は大体、守備7分、攻撃3分。インナーは攻撃6分、守備4分と言ったところだった。
 昨年は京都で全国大会が開催されたが、今回は4地区に分け、各地区大会の一位、二位が後日、東京の決勝大会で戦う事になった。松高は京都の西日本大会で勝ち進み、全得点が私のパスから生まれた。弱いチームで下がって守る事が多かったからチャンスメイクが精一杯で、その上前進して自分で直接得点出来る体力は無かった。
 準決勝で松高は巧者三高からPKを得た。しかも後半、1−1の同点という大変な場面で私が蹴る羽目になった。試合前OBに主将や上級生を差し置いて、高二の私がPKのキッカーに指名されたからだ。ところが狙い定めて蹴ったボールは無情にもバーを左上スレスレで越えてしまった。決めれば決勝進出という大切なPKを失敗したので、皆に何とも申し訳無くて身の置き所が無かったが、運良く引き分け抽選勝ちになったので助かりホッとした。OBには悪いが、私は元来PKが苦手で、練習だとゴールの隅にいくらでも蹴れるのに、試合では外すまいと気を遣い過ぎてそうはいかず、成功率は6割りくらいのもので不甲斐ないキッカーだった。まだPK戦はなかった。
 決勝戦の相手、広島は去年以上に強く8−0で敗れたが、点差ほど一方的ではなくこちらも攻撃出来た。一人前のキーパーだったら2、3点で止まったと思う。ともあれ松江は初めての西日本準優勝で、東京の決勝大会に行けることになった。

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