(25)読書 近江 達
§読書
 あの頃の松江はひっそりしていて、通りを歩きながらよく、この家並みの人達は何で収入を得て暮らしているのだろうと思った。そのくらい人気(ひとけ)が乏しい町だった。電話が数軒に一軒の時代で、松高生は皆徒歩通学。寮でも下宿でも自分のラジオは無く、娯楽は読書、囲碁将棋、映画程度、コンパでさえ酒もビールもなかった。時々、松江公会堂に来た音楽家の演奏会に行った。文学座の地方公演で、名女優杉村春子がつんつるてんの着物を着た少女から白髪の老女までを演じた「女の一生」を見た。
 戦後暫く新刊本は少なく、旧制高校生は哲学に親しむものだというので人並みに二三読んでみたが、自称、現実的故のロマンチストの私は、所詮、哲学とは縁なき衆生だった。何しろ図書館で借りた中で一番面白かったのが尾崎士郎作の「人生劇場」で、主人公青成瓢吉、吉良常に飛車角と、人生意気に感ずる男たちの心意気や意地っ張りに共鳴したのだからお里が知れる。結局、私の読書暦の基盤は中学卒業迄に読んだ日本と世界の文学全集だと思う。その後、硬軟を問わず乱読したので数は多いけれど、感銘は少年時代のそれに及ばない、若い頃は山本有三、阿部知二が好きで、カミユのベストもよかった。壮年になり司馬遼太郎を愛読した。視点や考え方が似ていて、私も彼のように、読むと元気になる、感動する作品が大好きなのである。

§マンドリン演奏、音楽部と二足の草鞋
 好きな音楽は多種多様だが、クラシックは気持ちが純粋になって落ち着くし飽きが来ない。純音学開眼は、中学時代、西洋の小母さん人形みたいな団栗目の浦宏吉がセビリアの理髪師(ロッシーニ)、椿姫(ヴェルディ)、タンホイザー(ワグナー)、リスト、モーツアルトなど、名曲のレコードを選んで貸してくれたお陰である。不思議に声変わりしなかった彼は、その後、北海道でフルートを吹いている。今でもあんな高い声なのだろうか?レコードといえば、台湾の従兄弟が出征する時、形見に未完成(シューベルト)と運命(ベートーベン)を置いて行ったが、無事復員して後に神戸大学工学部教授になった。
 私がマンドリンを弾くようになったのは、六甲の家で偶然それを見つけたからで、何故うちにあったのか不思議だが、父のすぐ下の弟で山口高校から京大に進み後に金沢大学農学部教授になった叔父のものだったらしい。イタリヤの民族楽器で芸術性は低いが、素人が手掛けやすく昭和初期に流行した。マイナーの為知らない人が多いが、現在も各地に学生や愛好家のマンドリン・オーケストラがあって演奏活動をしている。
 松江では友人の山ます剛太郎のギター伴奏でマンドリン演奏の寮内放送をした。谷間の灯ともし頃、林檎の樹の下で、バラのダンゴなど、戦前の古き良き時代のポップスがとても好評だった。お陰でマンドリン・クラブに引っ張り込まれてしまった。
 おまけに、正式に教わった事がなく楽譜も何とか読める程度なのに、音が甘く濃やかで綺麗だとおだてられ、以前からの部員を差し置いていきなりファースト・マンドリンのトップ、首席演奏を仰せつかった。と言っても松高では数十人編成の本格的オーケストラは無理で、十数人の小合奏団だが、文化祭や慰問で演奏し、「ダニューブ河のさざ波」はカデンツア(前奏部)の独奏もした。NHKから放送した事もある。主に秋から冬だからサッカーとかちあう事はなく充分掛け持ちが出来た。

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