(27)教授と生徒の交流、家に遊びに行った話 近江 達
§教授と生徒の交流、家に遊びに行った話
 旧制高校には現代の学校教育が失ったものがあったように思う。伝統的に生徒を教養と見識のある紳士に育てたいという教育的雰囲気があり、次ぎの大学受験は個人的範疇という見解なので、予備校的準備教育は皆無で、授業ものんびりしていた。だが進み方は速かった。矛盾するようだが、それは、「ここは読めば解る、考えたら出来るね」といった調子で進むからで、教授の方は少しもせっついてなかった。
 英語の高橋老教授は機嫌がいいと若き日の英国留学時代の思い出を語った。毎年そうして同じ話を繰り返してきたのである。前回動物学の試験の話を書いたが、他の学科のある教授は試験答案の採点が面倒で、階段の上から答案を投げて遠くに落ちたの程いい点をつけたというが、いくら何でも信じ難い。まぁ伝説の類いだろう。
 授業中、今のように私語とか騒ぐ生徒はなかった。当時は逆で、自信のある生徒の中には教授に挑戦する者がいた。ドッペルで一学年上だった藤田田(フジタデン)さん(後に日本マクドナルド会長)は既に貫禄充分で、一時、白い羽織り袴の応援団長だった。英語が得意な連中は町で進駐軍に出会うと積極的に英会話を試みたものだが、彼もその一人で、英文学者として有名な深瀬教授を困らせてやろう一癖ある質問をして、教授が答えると、「例文を示して下さい」とやったなどと、寮で同級生に話していた。
 教授の家に押しかける生徒もいた。教授も旧制高校出身だからお互い先輩後輩だし、とりわけ旧制高校のそれには独特のものがあったから快く応対してくれたのだろう。
 授業中と違って自宅では話せる面白い教授もいた。中国文学専攻の駒田信二教授はちょうど小説家として名が出始めた頃で、文科の生徒にとても人気があった。
 ドイツ歌曲の訳詞者でもあった妹尾教授はお洒落で、ソフト帽を被って時々サッカーを見に来た。遊びに行った片岡に、「近江君はうまいね」と言ったそうだ。
 恋人にしてドイツ語の名物教授、通称、「まっつぁん」こと、小林松次郎先生は百姓みたいな格好で無愛想だから誰も寄り付かない。だが、どこでも天の邪鬼はいるもので、ならば拙者が!と思い立った生徒が二人、家に押しかけた。玄関に出て来た老教授がいきなり「何しに来た?」と尋ねたので、「遊びに来ました」と答えた。するとジロリと見て発した言葉が奮っている。「じゃあ、そこで遊んでみろ!」、と来たから、意表をつかれた生徒は立ち往生!大先生はさっさと奥に引っ込んでしまった。

§雪国、おから寿司、海草麺
 寮の食事は相変わらず貧しかったが、外界の食糧事情は少しよくなり、寮の近くの芋屋以外に町なかでは、小麦粉を持って行くとパンと替えてくれる所や、「おから寿司」を売る寿司屋、海草麺を出す食堂などが出てきた。今の人は想像も出来ないだろうが、おから寿司は米飯のかわりに豆腐のおからがつまっている海苔巻き、海草麺は海草を粉にしてそば
のように打ったもので、時々食べたが海草麺は結構うまかった。
 三学期はサッカーの練習が殆ど無くて、私はマンドリン・クラブにまわった。やがて雪が降り積もると下駄では歩けなくなり、老若男女皆ゴム長靴で、寒いとマントを頭から被った。三月、雪が溶けて草木が顔を出し、残雪が暖かい日差しにキラキラ輝き始めると嬉しくなった。春を迎える頃のあの輝きや喜び、感動は忘れられない。

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