(31)京大入試、数学の奇問に仰天! 近江 達
§京大入試、数学の奇問に仰天!
 京大の入試問題は授業中心に勉強しておけば出来るという噂だった。となると、出来て当然という問題を失敗すると脱落する。そんな予備知識で臨んだが、数学でとんでもない問題が出た。「1+1=2でないことがある。数学的に説明せよ」というのである。他の3問は難無く正解したけれども、これは手の付けようがなかった。でも白紙は癪だから、虚数を二次方程式に入れて説明をでっちあげたが、正解が一人いたらしい。彼以外は皆この問題は零点の筈だが、京大は独特で、プロセスや考え方を評価して点をくれる。だから少しは差がついたかも知れない。
 他の科目は人が出来そうな問題は全部出来た。授業を受けなかったのに生物で満点をとれたのはまさしく優秀な参考書で勉強したお陰で、独学選択は大成功だった。
 競争率は3倍だが、その中には必ず合格する秀才が何人も入っていて、そんな連中には到底かなわない。そう考えると、競争率が何倍だろうと、結局、入試は自分と力が同じか少し上の受験生との勝負で、その点、私はベストを尽くせたので満足だった。
 合否は恐らく僅差で分かれ、境界辺りに自分がいるような気がしたが、幸い二次の岡山医大受験中に京大合格の電報が届いた。でも私が頼んだ者からでなかったので、念のため、これから京大農学部へ自分の発表を見に行く永井源(マンドリンクラブ)に確認を頼んだところ、彼からもすぐに合格電報が来て、永井も農学部に合格した。

§京大か、岡山医大か?!
 だが手放しで京大合格万歳とはいかなかった。というのは、私が松江に着いたらすぐ知らせないと、「何かあったのでは」と騒ぐくらい心配性の母は、京大でなく岡大への自宅通学を切望していたからである。その為、私も岡大の面接では、「京大に通っても岡大に来る」と答えた。だが岡大受験中の友人たちに話すと、皆、「自分なら絶対京大に行く」と直言した。確かに折角京大に入れたのに行かないのは愚かだ。でも母を説得する面倒を思うとためらってしまって、最終日、身体検査に行く途中でやっと決断した。ただし岡大入試も好成績で、合格すると岡大に行く羽目になりかねない。そこで受付けで引き返して欠席、岡大を不合格にして京大へ行かざるを得ないようにした。いわば背水の陣で、母には言わねばならぬ時まで黙っている事にした。
 その後、母は岡大の名を一度も口にせず、私は無事京大に入学した。後から知ったのだが、あの時、迷った母は、笠岡で世話になった銀行の支店長さんに相談した。その春、長男が京大医学部を卒業する一橋大出のお公家さんみたいな彼が、「経済的事情ならお金を貸すから、是非京大に行かせてあげなさい」と言ってくれたので母も決心したという。だが母はその事を私に一言も話さず、私も岡大放棄を母に言わず、母が89歳で亡くなってから数年後、初めて人から聞いて知った。感慨無量だった。

§今年の番狂わせ
 松高のクラス担任は皆に、「今年の大学入試は番狂わせが二人あった」と言った。私と永井源のことだ。二年生の終わりには落第しかけたが、卒業成績は真ん中くらいだから心外だった。サッカーで明け暮れていたので、まぐれと写ったらしい。

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