(35)初めてレフト・ウイングで出場 近江 達
§初めてレフト・ウイングで出場
 入部当初、私は松江の先輩の岡本さんしか知らないので人見知りで固くなっていた。ところが同じ新人の三高出の連中は上級生を呼び捨てにして対等に振る舞うので驚いた。それは三高出の年食った西田、片山が神戸一中で深山主将と、大石が京都二中でキーパーの藤田さんと同期だったからで、三高は時々京大で一緒に練習していたらしい。上級生たちは殆どが大正生まれの兵役復学など戦争で苦労した人たちだったので、昭和4年生まれで最年少20歳の私はよく「昭和生まれがいる!」と言われた。そう言われるとひどく年長者の中に紛れ込んだみたいで気後れして遠慮でやりにくかった。
 初出場は同志社戦で、まだチームがまとまらず1−2で不覚をとった。私は左ウイングがやめたあとに入った。左利きは少ないから、どこのチームも左のポジションには困った。それで、新人で右利きだが左も少し出来る私が回されたのである。
 その後、春の関西学生トーナメントは二、三回勝ったと思う。右のコーナーキックの時、センター・フォワードの大石(一回生、三高出)がやって来て小声で、「囮になってジャンプするから、あとを決めてくれ!」と言った。ボールが飛んで来ると、わざと前進ジャンプした彼に釣られて相手バックもジャンプ、頭上を越えて来たボールを私がフリーでヘディング、得点した。初めて経験したトリック・プレーだった。

§復活第一回京大東大定期戦、両軍通じての歴史的初得点!
 七月、往復夜行で片道12時間以上かかって東京遠征、岡本さんと先輩の田園調布の豪邸に泊めてもらった。東大は日本代表のハーフとキーパーがいて関東一。私のマーカーは六高で名の知られた選手だったが楽に抜く事が出来た。京大は好調で六分四分の優勢、お得意の攻撃法で快足右ウイング西田(一回生、三高出)がセンタリングしたボールを私が左外から走り込み、右足インステップで近いゴールの左隅に蹴り込むと見せてキーパーを引き寄せておいて、体を開き右インサイドで遠い右ポスト内側にシュート、ボールはポストに当たりゴールイン。両軍を通じて戦後京大東大定期戦の歴史に残る初得点となった。再度同じようなチャンスがあったが、キーパーがダイビング、はじいたボールが走り込んだ私の後ろに流れすれ違い。一気に突進しないで、少し手前で、どうなるか見定めれば得点出来た。マーカーに勝っていたので、「これはいける」と次の得点を狙っていると、足をいやと言うほど踏まれて走れなくなった。試合も、当時ロスタイムは無かったのに45分過ぎてもレフリーが笛を吹かず、必死の東大に押し込まれ、1−1になったところで終了、勝利を逃してしまった。

§同志社定期戦、初めてハットトリック!
 十月、秋の同志社定期戦があり、京大はかなりチームらしくなって力がつき春の雪辱を期した。前半、京大選手との接触で同大キーパーが顔を負傷退場。それから京大の攻勢が続き10−0で京大が勝った。私は絶好調で、一点目は右からセンタリングされたのを左外からシュート。二点目はお得意の右インナーの位置から20米以上のシュート。三点目はゴール前混戦で左から、目の前の密集の頭上を越えるように、ゴール右隅へ浮き球にしてシュート。初めてのハットトリックで嬉しかった。

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