(36)関西学生一部リーグ戦で挫折、阪大の意地 近江 達
§関西学生一部リーグ戦で挫折、阪大の意地
 関西学生サッカーは春がトーナメント、秋にリーグ戦がある。当時は一部から五部迄あって、一部リーグは戦後いち早く復活し日本一になった関学とそれに迫る関大が別格で優勝を争った。この二強から一段落ちて神戸経済大(現神戸大)、その下に神戸商大と京大、最下位が阪大という順位で、昨年、京大は二勝して一部の四位だった。
 緒戦の関大戦は陣容を変え私は左インナーでリーグ初出場。キックオフの時、視野が黄色く眼下1米に地面があるような気がした。当時20歳だったが、上がるとそんな奇妙な現象も起こるのだ。関大勢は最も荒く激しい。凄まじい密着マークで相手ゴールの方に向き直る事さえ侭ならず、猛烈な当たりに東大、同志社戦で得た自信を潰され、0−6で完敗。入部以来ずっとレギュラーで来たが、次ぎの二試合初めて補欠にまわった。代わりに三高出や広高出の選手が出たが、関学に0−2と善戦したものの神経大、神商大にも敗れた。関学は試合当日も好調にもっていく為に二時間よそで練習して来る。練習量が全然違うから、駆け足でも京大の全力走に近かった。
 連敗でも阪大には勝てる計算だった。ところが阪大は同じ旧帝大、旧制高校出という意地から、京大にだけは負けるもんか!と目の色を変えて挑戦して来るので毎年てこずる。今回も後半、バックの深山主将が阪大ゴール内に飛び込んだくらい激しく攻め立てたが、遂に勝ち越し点を奪えず2−2で引き分けがっかりした。でも順位決定の再試合は実力差で5−1で快勝。京大五位、阪大最下位で面目を保つ事が出来た。
 関学に三中で一年上の山田さん(日本代表)がいた。神商大にも二年上の人がいて、挨拶したら、先輩たちは二年生で止めた私を覚えていてくれたので嬉しかった。

§不本意だった左ウイング、左インナーでポジション争い
 一回生のシーズンは食料難と練習で疲労が残り、身体の軽い日は殆どなく、それにリーグ戦のある西宮球技場は遠くて、行くだけで疲れてベストノプレーなどとても無理だった。
それでも京大の年間総得点34のうち4分の1は私が得点したのだが、左インナーはともかく、左ウイングをやると、OBや上級生の受けは良くなかった。
 私はキーパー以外、左右どこでもこなせるが、左ウイングは一番苦手なポジションである。それでもそこに回ったのは、何とか左足でセンタリング出来てウイングがつとまる者が私しかいなかったのだ。私自身不本意だったから不評は致し方なかった。
 おまけにOBや上級生は、昨年活躍した元六高主将の左ウイングが二回生で急に退部した事をとても残念がっていた。それで何かにつけて、一回生にも拘わらず切り込み隊長よろしく攻撃の先頭に立った派手な彼と比較され、それが不評に輪をかけた。
 例えば、東大戦で得点後、足を踏まれて走れなくなったが辛抱して痛そうにしなかったので、負傷を知らぬ先輩は、彼がいたらなあ!とか、左のウイングが弱い、走れない!と私を面罵した。怪我しなかったらもっと活躍したのにと悔しかった。
 シーズンが終わり、最後のコンパで深山主将に「今年は優秀な新人が入ったので期待したのに残念だ」と言われ、申し訳なくて顔を上げられなかった。或る選手は私から「レギュラーの座(左インナー)を奪ってみせる!」と宣言したが、強豪広島高校で目立った彼も独りだと大した事はなかった。あの夜の光景が今でも目に浮かぶ。

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