(39)§昭和25年度関西学生リーグ、生涯唯一回取られたPK 近江 達
§昭和25年度関西学生リーグ、生涯唯一回取られたPK
 昭和25年、二回生の秋、メンバーが若返り好調で臨んだ関西学生一部リーグ緒戦の相手は神戸一中出が多い神戸経済大(現神戸大)で、試合内容は互角、私は、からんだ相手にはシュートも好パスもさせなかったが、ほかで2失点に絡んでしまって自責と反省のスタートになった。京大2(2−1、0−2)3神戸経済大(現神戸大)。
 前半、中盤でボールを持った神経大の右インナー、藤村が、私が間合いを詰めようとした瞬間、私の足にわざとボールをぶつけ、意表をつかれて思わず立ち止まった途端に足元のボールをかっさらって通過。それが失点の遠因になってしまった。初めての体験だったが、後日、賀川浩さんがOBの試合でこのプレーをやったのを見た。当時26歳くらいで神戸一中、神大のOBだから、きっと後輩に教えたのだろう。
 後半も失敗した。リードされた神大が猛攻、京大ゴール前に上がったボールに敵味方が競り合ってジャンプ、私もやや遅れてジャンプしたが、その寸前、相手をチラと見た。それでレフリーが相手に飛び掛った反則と判定してPK。その失点で京大は惜敗、チームメートに申し訳なくて落ち込んだ。今なら反則になってないと思う。

§関学戦、日本代表右ウイング、名手木村との戦い、監督の指令で失敗
 王者、関学のフォワード、木村、長沼、樽谷の右三人は全国制覇した広島高師付属中トリオで日本代表。私は有名な右ウイング木村現に当たったが、昨年初出場だったフォワードに比べればバックは決まったプレーだから、とても楽で緊張も萎縮もなかった。原則どおり、パスの段階で取れるボールは取り、ヘディングは全部勝った。一旦ボールが彼に渡ってしまうと完全にコントロールしているので、安易に飛び込むとかわされるから、巧く間合いをとって、ドリブルされると相手とボールの正面へ正面へと動き、粘り強くつきまとって抜かせなかった。それを見た関学勢が歯痒がって「抜け!抜け!」と叫び、彼も焦ってコースを変え内側に切り込んだりしたが、こっちはフォワード上がりだからフェイントには強い。結局、彼は一度も私を抜く事が出来ず、キープだけで、シュートもセンタリングやこれといった有効なパスも出せなかった。
 こうして関学右サイド無得点で前半終了。この間、京大は既に5失点だったが全然覚えていない。ところが、日本代表、超一流選手木村の完封に成功し会心の出来に満足してハーフタイムに引き揚げた私を待っていたのは、監督の実に意外な言葉だった。
 安居監督は完封には一言も触れず、何と、「後ろからでなく、相手と並んで前でボールを取れ!」と指令したのだ。しかしそう言われても相手は快足の名手!並べば、味方ゴールへ競争になったら勝てないだろう。矢張り原則どおり後ろからマークすべきだ。でも監督の指令にはそむけないし、どうするか迷った。流石に、私の尊敬する京大全盛期の名バック、栗原さんが、今のままで良い、横から口を挟んでくれたけれども、結局、不満だが監督だから指令どおり、後半、なるべく並んで守った。だがその為に最終ラインが浅くなり、レフトバックの私が右ウイングの木村よりで警戒せざるを得ないのを関学は見逃さなかった。木村よりも右インナーの長沼が、スリーバックの泣き所である広がったレフトバックとセンターバックの間に走り込んで来て、結果は、京大3(2−5、1−3)8関学。並んだのは明らかに間違いだった。

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