(40)§ハーフタイム 近江 達
§ハーフタイム
 監督は他の選手にあまり注意しなかったが、私にはハーフタイムに必ず注意した。うまくいった、文句なしだと自信がある試合でさえ何か文句を言われた。一目瞭然ひどく不出来なのがいて、今日は彼だ、と安心していたら、豈(あに)はからんや、何故か矛先が私の方に向いて来る。よく、叱られるのは見込みがあるからで、叱られなくなったらお仕舞いだと言われるけれども、こういつも試合ごとに小言を食ったのでは、いくら辛抱強くてもいい加減いやになる。うんざりして後輩に、試合中の監督の様子を尋ねてみると、「近江さんの事は一言(ひとこと)も言わない。他の選手の事ばかり、誰それは京大始まって以来最低のバックだとくさしている!」と言う。これには驚いた。まさかそんな事とは思ってなかったし、監督はその選手に何も言わなかったからだ。
 安居監督は神戸一中出、四高でサッカーを始め、京大で昭和12年に関西リーグ優勝、中止された戦前東京五輪の候補、第一回天皇杯東西対抗西軍主将という立派な経歴。私が見た頃は36歳くらい、スライディングが大好きで好戦的なセンターバックだった。私は逆でバックは絶対に負けてならぬという主義だから用心深くプレーする。スライディングは最後の手段だ。しかし積極型の監督はそんな消極的なのは嫌いだから、関学戦で前で勝負しろと命じたように、事ごとに文句をつけてきた。それに、おとなしいので言い易かったのだろう。ほめられた事はまず無かった。レフト・インナーの頃、どうだ、大分わかって来たか、と声をかけてくれたのが一番好意的な言葉だった。

§攻撃は良かったが!
 残りの試合は、京大0−3関大、京大3−2阪大、京大3−9神戸商大。最終戦の神戸商大は、まるで野生馬の群れが草原を駆け回るように全員が走りに走るチームで、敗戦の主因は走り負けとキーパーと右フルバックなどがサブだった事だった。結局、昭和25年度関西学生リーグの成績は次のとおりだった。
    1位 関学      5勝        4位 関大 2勝1分2敗
    2位 神戸経済大  2勝2分1敗   5位 京大 1勝4敗
    3位 神戸商大   2勝2分1敗   6位 阪大 1分4敗

 神経大、神商大、関大の3チームが2勝で実力は僅差。京大は私が神経大に惜敗した敗因になって5位に終わった。その事が心の傷になって未だに残っている。
 それでも京大は攻撃面は小山主将のリーダーシップが非常に良くて5試合で11得点と素晴らしかった。センターフォワードの小山さんがダイレクトで左右スペースにボールをさばいて、快足西田、巧技の大石、両ウイングが突破。フォローする片山の踊るようなフェイントをまじえたドリブル、新人、若山(新制一回生)のシュートも威力があり、関学に3得点と、大きな展開攻撃は上位チームと比べても遜色がなかった。
 だが何しろ普段の練習が10人前後で練習不足だから、守備陣が上位チームの運動量や速さに対抗しかねた。それでもベストメンバーなら個人のしっかり度と戦術的判断工夫で何とかごまかせたが、なかなかメンバーが揃わないのが京大らしい所で、層が薄い為にレベルの低い選手でも出さざるを得ず守りに穴があいてしまった。キーパーも大橋(東大の岡野の中学先輩、松本高出、私の医学部同級生)以外は失点が増えた。

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