(41)§サイドハーフ 近江 達
§サイドハーフ(ボランチ)
 昭和26年4月、三回生になった。昨年は神大戦の藤村のケースと関学戦後半の指令ミスに伴い敗北を除けば、1対1では抜かれなかったし、自責点はPKだけだったので今年も左フルバックだろうと思っていたら、ハーフ(ボランチ)に回された。
 新主将、大石は相手を真横にかわしざまシュート、得点する自分の型を持っていて、中学時代から京都では有名だった。センターフォワードか左ウイングの大石、右ウイング西田、左インナー片山の三人は三高以来の名コンビで、昨年のチームから小山さん一人が抜けただけだから、チームの戦力低下はあまりない筈だった。
 事実、新チームは四月のトーナメントで阪大に7−1で大勝、快調のスタートを切り去年よりもいけそうな気がした。ところが、次ぎの関学戦で全く思いがけない異変が起こった。そして結局、それが京大チームの命運を決めてしまったのである。

§不可解なセンターバック起用
 関学戦当日、試合開始直前に、突如ポジション変更があり、右ウイング西田が事もあろうにセンターバックに下がり、私は右ウイングで出る事になった。久しぶりの右ウイングで関学の一流バックを抜けるかなと危ぶんだが、2、3回センタリングに成功した。次ぎから私はハーフに戻ったが、西田はそのままセンターバックに定着した。
 配置変えの原因は、昨年守備の中心で健闘し、先日、阪大戦で六高出の点取りや尾崎を完封したセンターバック岡川(神戸一中、四高出)の不意の退部だった。神戸の一流ホテルの子息だった彼は私に好意的で、よくあんなに動けるなぁ!と感心してくれた。安居監督には不評だったようだが、体格に恵まれ幾分大味とはいえ決して悪くなかったのである。今年も活躍を期待していたのに残念だった。
 被害は実に大きかった。西田のバック転向で、チームは不動の右ウイングの彼が快足で突破、センタリングから得点する最も得意な攻撃法を失ってしまった。守備の方も、監督は彼のどこに目をつけたのか知らないが、どう見ても彼は天性のウイングでバックには無縁だった。センターバックは単なるバックではない。守備陣の要(かなめ)、リーダーである。彼にその適性は無かった。それがいきなり関学相手だから0−6で敗れたが、彼のプレーを見た監督は、「いいじゃないか!」と変に楽観的だった。
 優れた攻撃力を捨ててまで、守りの素人の彼を抜擢したのは、彼の資質からよりも、監督が、守備陣にセンターバックの出来る者がいないと見たから、としか思えない。私は素人以下という事だ。しかし結果は、一部に昇格した同志社との定期戦も1−4で敗北。チームは攻守両面で一挙に弱体化し、勝てそうな気がしなくなってしまった。

§東大定期戦、主将を完封、東大4−1京大
 私は22歳、体力の頂点で運動量は生涯最高。東大戦はハーフで、左インナー中条主将(後に朝日新聞)を完封。インターハイの王者、広高主将で暴れん坊だった彼も大した事はなく、下級生のセンターフォワード、岡野(日本代表)に叱られていた。岡野は技巧派の名手でセンターバック西田を苦もなくかわして得点を重ねた。一年後、私はその岡野と当たる事になる。だが、その時は来年の事など全く頭になかった。

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