(44)§27年度京大蹴球部主将、旧制と新制 近江 達
§27年度京大蹴球部主将、旧制と新制
 入替戦でシーズンが終わり、納会で旧制の最上級生が引退。新チームの部員は殆ど新制で新主将選挙が行われた。昨年の選挙はその場で開票したが結果を発表しなかった。たぶん票が割れて決めかねたのだろう。後日、OB会が大石を主将に指名したが、今回はその場で開票、私が27年度の主将にすんなり決まった。OBには図らなかった。
 新制、旧制と言っても今では通じない。旧制とは戦前からの学校制度の事で、旧制中学から全国に三十数校あった旧制高校へ、そこから京大、阪大など旧制国立大(元帝国大学)
に進んだ。この中学5年、高校3年、大学3年の旧制度は、戦後、米国の占領政策で米国式の中学3年、高校3年、大学4年の新制度に順次切り替わり、旧制中学に1年足して前半が新制中学、後半が新制高校に変わって、そこから新制大学に進学、その間、旧制高校は廃止され、昭和24年から29年まで旧制と新制の京大が併存した。当時の新制中学、新制高校、新制大学が現在の中学、高校、大学である。
 25年に姿を消した旧制高校と今の高校の違いは年齢よりも中身だった。旧制はいわば教養的学問で、今の進学高校のような大学入試に備える授業も進学指導も皆無だった。不親切だったわけではない。自主自立が旧制高校のモットーで、受験勉強は個人でやるべき事だからだ。旧制高校生の間では人生論や人間形成(人格、識見、教養など内容の向上)が話題になり、エリート的だったせいもあって、より高級な大人、スケールの大きな人物になろう!志や気概を持とうではないか!といった独特の雰囲気があって、幼稚な生徒はダスキント(ドイツ語で子供)とからかわれた。
 もっとも、これは教養が紳士の文化的身だしなみだった古き良き時代の話である。あれから何もかも随分変わった。たとえば現代の高校生は大人や真面目をダサイと嫌う。しかしどんな世の中でも学生時代に教養を身につけ、人生や人間のあり方などについて思い巡らす事は大切だし、必ず有益だから是非やって欲しい。政治家や大企業幹部、官僚などの堕落、人々の心(知情意)の荒廃が目立つ昨今、特にそう思う。

§旧制高校廃止で元帝大サッカー没落
 新制度に変わって国立大学の門は広くなったが、旧制高校廃止は京大など元帝大の国立大サッカー部を直撃した。創部以来、全国の旧制高校蹴球部が唯一の選手供給源だったからだ。そう言うと旧制高校は入試が難しくて中学サッカー経験者がなかなか入れない為に部員は素人が多かった。それでも3年間鍛えられて何とか武骨ながらサッカー選手らしくなり、京大などに進み有志が蹴球部員になったのである。今は日本でも幼少から始めるのが常識だからお粗末な話だが、当時はまだ日本サッカーのレベルが低かったので、高校から始めても結構通用した。その証拠に、中学サッカー経験者を含む優秀な選手が揃った年の京大は強豪私大に充分対抗出来たし、戦前は7度も優勝した。それだけに、選手を育成供給してきたファーム的な旧制高校蹴球部の消滅は致命傷だった。制度がどう変わろうと有名私大にはいくらでも優秀選手が集まるが、入試の難しい京大に入れる新制高校サッカー部員は少なく、まして好選手など滅多に入らない。落日は自明の理で、私は丁度京大凋落が始まった時期に居合わせたのである。

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