(46)§関西二部の京大、関東一部の東大相手に作戦成功! 近江 達
§関西二部の京大、関東一部の東大相手に作戦成功!
 京大生は利にさとい。補欠が続くと止める。その代わり試合に出られるなら入部するので、途中から好選手が入る事もあった。新チームはスタミナ抜群の副主将、京都洛陽高出のハーフ長井、旧制松山のセンターフォワード大羽が一回生からの部員で、二、三回生からの左ウイング広野は岸和田で日本代表、関学の平木と同期、堅守の押坂は名門伊賀上野、志方(しかた)は全国大会準優勝浦和の中盤だった。例年どおりキーパーなどが弱く私はセンターバックで配置を工夫して何とか補強をはかり、少人数で細々と練習を続けた。七月初め、東大を迎えて農学部グラウンドで定期戦が行われた。
 東大は関東一部。戦後優勝している。昨年は二部京大が完敗。今年も東大らしい洗練された好チームで、ユニフォームのスクールカラーも英国のオクスフォード、ケンブリッジにあやかり、ライトブルーの東大、ダークブルーの京大と明暗対照的である。
 この試合で私は一計を案じた。東大をスローダウンさせながら攻め込ませ、京大スリートップも充分後退して、当時、金科玉条だったマンツーマン・マーキングを逆用してマーカーの東大最終ラインをおびき出し、広いスペースが出来たら京大陣内でボールを奪い、浅いフォワード・ラインから誰かがスペースへ飛び出し中盤からパスを受けて東大ゴールを襲うのだ。これを長井、押坂、志方の中盤がうまくこなして、広野、大羽など前線が好スタート、両者呼吸が合って作戦はものの見事に成功した。

§戦後復活東大定期戦に京大初勝利、名手岡野(日本代表)を完封!
 私は、東大のリーダーで日本代表、センターフォワードの名手、岡野をマークした。有名なテクニシャンだが、こちらも似たタイプのフォワード上がりだから技巧派には強い。彼は一度も私を抜けず無得点、1アシストで終わり、途中激しい夕立が降ったが、私は雨に強いので全く支障なく完勝した。京大3(2-1、1-0)1東大
 京大はこれ迄指示だけだったが、今回は私の作戦による会心の、しかも記念すべき戦後東大戦初勝利だった。自由放任の唐原監督のお陰だ。私を目の仇にした前の安居さんが監督だったら私の作戦は絶対にあり得なかった。昨年1−4で負けたのだって、安居監督が西田でなく私をセンターバックにしていたら勝っていたと思う。これで東大戦は一勝一分一敗、その後あまり勝っていないので、私の第一回左ウイング京大初得点、今回のセンターバックでの岡野完封と作戦による京大初勝利は自慢出来るだろう。

§作戦成功、一部の同志社にも完勝!
 その夏、前記したように私は手術入院し、合宿練習は副主将長井に任せた。二部転落の為、宿舎は謹慎の意味で京大近く百万辺のお寺になった。やり手の長井は今もシニアサッカー仲間で、何かにつけていろいろお世話になっていて感謝している。
 二部だった同志社が昨年一部四位、一部だった京大が二部落ちと立場が逆転した九月の同志社定期戦も、東大戦と同じ戦法で2−0で完勝した。1−3で負けた昨年の定期戦は私がセンターバックだったら勝てた試合だった。同大センターフォワードが自陣内に後退してマーカーの私をおびき出そうとしたが、そんな狙いくらい読めたので、ついて行かないで放っておいた。彼は引っ掛からなかったとブーブー言っていた。

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