(47)§超ロングシュート、最長距離記録! 近江 達
§超ロングシュート、最長距離記録!
 二部とはいえ、昨年、1−4で負けた東大、同志社という東西の一部リーグチームに完勝した京大は、社会人の強豪大阪ガスにも大差で勝った。私はセンターバックでハーフラインを少し超えた地点から約50米の超ロングシュート、ボールは低いライナーで飛びワンバウンドでゴール右隅に入った。以前、旧制山高での超ロングはゴールのバーに当たり、後の日本代表キーパーを驚かせたが、今回は成功して私の生涯最遠距離からの得点となった。攻撃的なチームで一部でも通用する選手が6、7名いて、一昨年の小山主将にような大きな展開はないが、一部の下位はいける力があった。だがそれでも二部優勝確実とは言いかねた。京都学芸大という強敵がいたからである。

§ライバル、京都学芸大(現京都教育大)
 戦前の京都では京大がトップのチームで、同志社、立命はまだ無名だったが、京都師範はOBが紫光クラブとしてプレーしていて、教員だから中学、高校のサッカー部を育て、教育界の人脈や広い地盤、組織力で京都サッカー協会をずっと牛耳ってきた。
 当時のライバル、京学大の藤川さんは生徒の頃、京大の練習を見学していると、小父さんみたいな京大の選手に、一緒にやりましょうと誘われて中に入れてもらった。いかにも京大らしくて微笑ましい。戦後、師範は京都学芸大学に昇格してどんどん強くなり、一足先に一部に上がった同志社を追って二部で健闘し、上昇気運に乗って一部入りを狙う位置に漕ぎつけところだった。そこへちょうど新制切り替えの煽りを食った京大が二部に落ちたものだから、私が主将だった昭和27年の京都は同志社、京大、京学大が実力伯仲、まさに三つ巴で、同大京学戦は必ず殺気だった激闘になった。
 京学大は全盛期で森兄弟、藤川、山崎など名選手がいて燃えていた。中でも左ウイングかセンターフォワードの森(文)は後に日本一の田辺製薬で活躍した。京学戦はいつも好勝負で0−0か0−1、京大もかなり強かったが京学大は人数と練習量が我々の倍以上だからその差で勝てなかった。そしていよいよ秋のリーグが始まった。

§実力あれど一部復帰ならず!
 二部リーグは三試合、すべて4−0か3−0で勝ったが、阪大戦に失敗した。突破やクリーン・シュートでなく、昨年の一部入替戦のようにオフサイド崩れ的にボールが転がり込んだ変な失点で0−1。京大の攻撃がやる気なのに調子が出ず、堅守でない相手に得点出来ないという拙い取りこぼしだった。最終戦はいよいよ京学大との首位争いで、勝てば入替戦に出場出来る。再三の対戦で互いに相手の手の内を知っているので、いつもどおり形勢は互角。これまで同様、森文と藤川、両エースをうまく押さえたが他から失点。相手の運動量と必死の守りでどうしても得点出来ず0−1で敗れた。京大は2位で一部復帰成らず、3勝2敗、得点10、失点2。5勝で1位の京学大が入替戦で大経大に6−0で大勝して一部に昇格、翌年も一部上位に食い込んだ。我々はその京学と全試合が一点差以内だったので、一部クラスの実力は充分あったと言ってよいだろう。(但し仮に我々が一部に上がったとしても、翌年のチームが拙かったので、すぐ二部に落ちたに違いない。その事については後で触れる。)

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