(54)言い掛かり、孤独な終焉 近江 達
§言い掛かり、孤独な終焉
 林医長は親しい腹部内蔵外科の第一人者、田村京大助教授(後に京大教授)を京都から呼んで10時間近くかかる難しい膵臓癌の手術をしてもらった。有名外科医の出張手術は珍しくない。普通の胃切除術でも患者が金持ちや有力者とかその家族だと頼む事があって感謝されたが、それだけで満足する医長ではない。抜け目なく病院の人たちに自分が京大外科で顔がきく大物であるかのように吹聴して回った。当然、患者さんから高額の謝礼が助教授に入るので彼に恩を着せる事も出来たわけで、患者の為には違いないが、その裏にはこうしたギブ・アンド・テイクもあって呼ぶのである。
 手術後、助教授接待の席で医長が、「この間、君が腰椎麻酔をした患者が口が痺れた。君のミスだ!」、とからんできた事があった。言われて思い出したが、虫切術の為に腹部以下を麻痺させる腰麻後、医長が、「どうですか?」と尋ねると、患者は口が痺れたと確かに答えた。でもはっきり喋れたから、口の麻痺はなかった。恐怖心を除く為に少量注射された麻薬のせいもあったが、正しくは口が痺れたような気がしたというだけの事で、血圧など全て正常、ショックの危険皆無で手術は無事に終わった。あの時の光景をよく覚えているが、第一、今からんでいる医長だって、患者が元気でニコニコ笑いながら答えたものだから、苦笑して問題にしなかったではないか!
 どう考えてもミスはなかったので、私はあの腰麻で口が痺れる筈がないと否定した。私が反論したものだから医長は眼が座って顔面蒼白、ますますいきりたって口論になった。それにしても助教授の前で私に恥じをかかせる魂胆なら、あんな症例でなくもっと重大な事件がありそうなものだが、生憎他にこれといった失敗がなかったのである。
 結局、助教授が、「腰麻で軽いショックが起きたのかな」、と医長の肩を持ったのでその場は一応収まった。そこで正否は問わず目下の私がとにかく謝っておくのが無難な処世術だとわかってはいたけれども、私は全然悪くなかったので一言も謝らなかった。助教授も流石に謝れとは言わなかった。
 こうして嫌な日々が続きうんざりしてしまって、助教授に辞めたいと話したが案の定慰留された。任期満了迄辛抱するしかないのか、どこ迄続く泥濘み(ヌカルミ)ぞ!ところが意外に早く事態は終結した。林医長が突然病院を辞めて開業したのである。
 数日後その医院に呼び出された。診察室に入るや否や血相をかえた彼にいきなり胸倉をつかまれ殴りかからんばかりの勢いで、私が前任の医員に会ったのに会ってないと、赴任した日に嘘をついたと罵倒された。一瞬殴られたら殴り返そうかと迷ったがそれは無く、これが彼と会った最後で、異常な攻撃の謎がやっと解けた。連絡がとれず本当に会えなかったのだが、挨拶状を誤解した医長は、不仲で辞めたその医員と私が会っていろいろ聞いたと思い込み、偏執性格から根に持って憎み続けたのだ。
 彼は市民病院という名称を嫌い書類や葉書には必ず市立病院と書いた。そんな見えっ張りがあんなに馬鹿にしていた田舎町でぼそぼそと開業医を続けて40年、有名声優を姉にもつ元ダンサーの美人と開業寸前に離婚して独身を謳歌した自称極道も、やがて後釜の女性たちにも去られて80歳を越え、とうとう先年亡くなったと風の便りが伝えた。残された医院の建物などは、遺言で、一家で医院に住み込んで孤独な晩年の彼を世話して最期を看とった看護婦さんに贈られたという。

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