(55)不信の烙印から、信頼される喜びへ 近江 達
§不信の烙印から、信頼される喜びへ
 後任の医長が来る迄暫く一人で診察した。気分は明るく、逆境に耐えぬいた事で以前よりも逞しくなった。それにしてもひどい体験だった。最後に胸倉を掴まれて、前任の医師に会っただろう、会ってません、と押し問答の末、初めてわかった事の発端は、何と、赴任前、医長に送った挨拶状の、私が彼に会ってから行くという予定で書いた「会って」という言葉を、既に会ったと思い込んだ医長の誤解だったのである。これはあまりにも意外で、まさかそんな事が!と愕然とした。
 結局その医師と連絡がとれず会えなかったので、赴任した時、質問に「会ってない」と正直に答えたが、そう言えば、その瞬間、医長の顔色が変わった。今思うと、医長は私が彼と会って自分の悪評を聞いたと信じていたので、私が嘘をついたと脳裏に刻み込んだのだ。そして憎み攻撃へとエスカレートしていったのである。それにしても常人ならよしんば誤解していても、本人が会わなかったと言えば、「手紙と違うな」くらいで終わる程度の事なのに、彼の偏執、憎悪は異常で、世間にはいろんな人がいるから会話でも手紙でも一言一句たりとも心すべきだと、痛切に思い知らされた。
 その間、二例、一人で胃の手術をした。奥地から運ばれ緊急手術した腹部刺傷、胃穿孔は手遅れで死亡。もう一人、従業員の胃潰瘍手術は成功した。患者は評判や肩書、病院の格などで罹る医者を選ぶが、好き嫌いや相性もある。自慢したり口のうまい医者が人気があるが、正反対を好む患者もいる。その40歳前のボイラーマンは前医長が嫌いだったが、それにしても、大手術となると万一を覚悟して命を預けるのだから、その医者なり病院なりを相当信用出来ないと頼めない。彼はまだ27歳の私を若くても大丈夫だと信用したからこそ任せてくれたのである。無論どんな患者でも、患者がどう思っていようと、医者はベストを尽すべきだが、彼の全幅の信頼は私のような若い医者にとってとても光栄で嬉しく有り難かった。彼の事は一生忘れない。

§覚えているかい、森の小径(こみち)!
 後任の長良医長は四高、京大出身で五年先輩、身長180センチ近く柔道四段、旧制高校生的気質でお互いに心を許して交流しあえたので、これが先輩後輩というものだと感じ入り、以前の異常な苦労を思うと感慨無量なものがあった。学問的討論も出来たしパイオニア精神旺盛で、新しい手術にも挑戦、骨折の整復や手術、ギブス固定、皮膚移植、骨関節の整形外科なども手掛けて、とても勉強になって面白かった。
 こうしてやっと人並みの医員に戻れたが、最悪だった前医長時代でも私生活はさほど悪くなかったのが救いだった。三高出の京男、医学部同期、内科の畑先生と交代で当直したが、同じ下宿で、意外にもアルコールが駄目な私は大酒飲みの彼と酒はつきあえなかったが、私と正反対の明るく気軽な口八丁手八丁の社交家なので公私ともに随分助けてもらった。下宿の人たちや高校の先生たちとも交流して飲み会や社交ダンスをよくやった。白人の神父さんが二人来たことがあって、雑談した折に私のことを、何も喋らなかったのに賢い賢いと言った。理由はわからない。マンドリンで東京行進曲などを弾いて合唱したり、ストームをやったり、私が好きだった森の小径を歌った事など思い出す。とても楽しかった。若かったあの日々が懐かしい。

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