(56)電子顕微鏡的研究 近江 達
§電子顕微鏡的研究
 昭和32年4月(1957)、我々28年卒業組は京大外科学教室で大学院生として研究を始める事になり、私は二年余の赴任を終えて帰省した。京大には二つ外科教室がありそれぞれ気風が違う。第一外科の荒木教授は脳外科では日本屈指の権威で、そのせいか教室員は概ねプライドが高く自信家で功名心や出世欲の強い野心家とか、いばりや、はったりやなど一癖ある人が珍しくなかった。第二外科の青柳教授は胸部外科の大家、秋田中学出身で私の父の三年後輩、小柄でやんちゃな荒木教授と違って、大柄で少しセンチだが男らしい気っ風で人望があり、こちらの教室員は大体地味だった。
 この両外科教室の助教授、講師たちがそれぞれ研究室を持っていて、我々はその何処かに入りテーマをもらって指導を受け研究する。たとえば脂肪代謝に興味があって日笠先生の研究室に、肝臓外科がやりたいから田村助教授にといった具合に指導者と研究室に対する好みや相性で決める者もいれば、助手や大病院に空席が出来た時に自分の弟子を送りこむ事に積極的な先生だからという評判で人気のある研究室もあった。
 私は第二外科の木村助教授の研究室に入った。自律神経研究で有名だが、それよりも何となく私に合いそうだったからだ。威張らずむきにならず、しかつめらしさ、気取りも皆無、モダン、スポーティーで誰とでも対等に接して好奇心旺盛、こうしたらどうなるかな?やってみよう!と面白がって大胆に取り組む先生で、宮仕えの面倒無し。そのかわり、弟子になると将来良いポストにつけるというメリットはなかった。
 木村先生に、当時医学的研究にも使われだした電子顕微鏡で自律神経や末梢神経について何かやってみろ、言われて、私は既に電顕を手掛けていた皮膚科の西占(にしうら)助教授の特別研究室で仕事をさせてもらう事になった。自宅通学だから生活に心配はないが、いい歳をして親の臑噛りでは申し訳ないので、研究生が皆やっているように週に二、三回パートや当直で稼ぎながら、京大病院西南端の皮科特研に通った。
 電顕だと普通の顕微鏡よりも遥かに大きく見える。例えば血液を一滴とって顕微鏡で見ると白血球の数や種類がわかる。だから顕微鏡はそういう検査診断に役立つ。だが一個の白血球の細かい内部構造は電顕でないとわからない。白血球に限らず、一個の細胞を電顕で写真にとって画用紙大の印画紙いっぱいに引き伸ばすと、1ミクロン(1000分の1ミリ)が数センチに拡大されて、細胞内部のミトコンドリア、小胞体、顆粒など微細構造がはっきり見える。高さ2.5メートルもある電顕の操作は技師がやってくれるので、こちらは週一回、撮影日に検体をもっていけばよい。
 調べたい神経を2ミリ立方くらい採ってオスミウム固定、合成樹脂カプセルに包埋したのを出来るだけ薄く切る。ダイアモンド・カッターを使うが、貧乏なので代わりにガラス屋で買ってきた厚いガラスの屑を割って出来たカケラの鋭利な縁で切った。分厚いのは駄目、向こうが透けて見える超薄切片だけ水面に浮かべ伸ばしてから掬い揚げ、直径5ミリの皿状の金属メッシユに載せたのを電顕で観察、必要な所見があれば撮影。その乾板をもらって自分で引き伸ばし拡大写真にして調べる。ただし倍率が大きいので肉眼では見えない微細な傷も巨大になり、そんな標本は無論駄目だが電顕で見る迄それがわからないから標本を作ってもロスが多く、折角良い切片で一杯写真がとれるのに撮影時間が短く制限されているので、とってもらえない事もあった。

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