(61)頼もしいやつが来た!? 近江 達
§頼もしいやつが来た!?
 卒業後、サッカーから遠ざかってしまったが、昭和30年、26歳で外科医として赴任すると、偶然下宿のご主人が地元高校サッカー部のOBで、国際審判員をしている先生に紹介され二、三回一緒にプレーさせてもらった。高校のレベルは高くなかったが、当時の日本代表八重樫ばりの大きなプレーをする貫禄充分な先生で、代表やネルソン吉村時代の日本リーグ、国際試合のレフリー経験談など話してくれて面白かった。
 32年、研究の為に28歳で赴任先から戻ると、早速京大農学部グラウンドへ京大蹴球部の練習を見に行った。南側に新しい合宿出来るスポーツ会館が建っていたが、比叡の山並みを仰ぐ緑に囲まれた懐かしいグラウンドは昔のままだった。でも現役にもう顔見知りはいないし、私の頃よりも速いが味けないサッカーで、自然、足が遠のいた。
 でも同大や東大の定期戦のOB戦には時々出た。或る時、私が行くと、「頼もしいやつが来たな!」と声がかかった。誰かと思ったら、何と、監督だった安居さんではないか!現役時代幾らしっかりプレーしても必ず小言をくったものだから、まさか頼もしいとは!意外どころか信じられなかった。そんな目で見ていたのなら、現役の時、少しでもそう言ってくれたら、きっと元気が出たのに、と何とも複雑な気持ちだった。
 あの雨の東大戦で得点した後輩の広野との再会も忘れられない。部室で角帽と学生服を彼に譲って卒業して40年ぶり、それも出無精で、隔年の東京での東大定期戦にはずっと行かなかった私が、平成に変わってこれで最後にしようと珍しく東大に行ったら偶然会ったのだ。温和だが試合では一変して鋭く機敏に活躍したあの頃と変わらぬように見えたが、体調優れず、「近江さんに会えてよかった」、としみじみ呟いた。歳々年々人同じからず、胸に迫るものがあった。どうか元気でいて欲しい。
 OB戦で昔の仲間や顔見知りの先輩、後輩と久しぶりに会って一緒にプレーするのは楽しい。旧制高校OBインターハイでは時々得点した。皆が言うには、私の何故もっと大股で走らないのか不思議に思える小走り、小刻みのドリブルとか、何もしないような顔で違う方向にチョンと出すパスは現役時代と変わらないそうである。

§アキレス腱断裂、松葉杖で手術敢行
 32年に医学部にサッカー部が出来てから、そちらのOB戦にも駆り出された。ある試合でタックルして膝をひどく痛めてしまって1年休む事になったが、負傷した私に、全然顔も知らない若い医学部OBが、「いい格好するからですよ」と言った。空中でボールをアウトで受けたからか?例によってそんな目で見られていたのである。
 次ぎの大怪我は39年、35歳だった。久しぶりの京大農学部グラウンドの現役対OB戦で私は左のフルバック。頭上を超えようとするボールに背走、追いついて振り向くように身体を捻りながら無理やりジャンプ・ヘディングした瞬間、右アキレス腱がビシッと音を立てて切れた。足を引きずって帰宅したが、縫合手術と入院、休業が必要だ。しかしサッカーで怪我して休んだのでは申し訳ない。そこで、手術しないで、自分で膝から爪先までギブスを巻いて、そのまま5週間、長靴状態で辛抱して、切れたところを何とかくっつけてしまった。こうして病院は無欠勤、外来診療も回診も格好悪いがずっと松葉杖で、2時間かかる胃の手術も椅子に右膝ついてやりとげた。

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