(66)§創世期裏事情、感謝 近江 達
§創生期裏事情、感謝
 2年目から小学四年生が新入生で入って来た。練習は週3回でも部活と違って一度帰宅してから夕方練習に出て来て帰りが7時、8時になるので大変だった。塾ならともかく本当によく来てくれたものだと思う。サッカーの面白さと保護者のご協力のお陰で有り難かった。開成の照明も45年12月、中一になった山田晴朗の元教育長だった父君のご尽力で4基の小型水銀灯がついて前より明るくなり、3年目を迎えた46年には香陽小学校が出来て児嶋先生と一部の子供たちが移り、開成、香陽2校で練習する事になって、評判がよかったので近くの小学校の子供たちも参加して来るようになった。グラウンドの無い枚方FCが今日あるのは、小学校にお願いして校庭で練習が出来た賜物で、改めて各校の長年のご厚意に感謝の意を表する次第である。
 校庭借用は前以て書類を出して許可をもらうのだが、学校から、「トイレ使用願いが出ていない。許可していないのに勝手に使った。けしからん!もう貸さない」、とひどく怒られた事があった。これには吃驚して大騒ぎになり、すぐに平謝りして、急遽保護者に交代でトイレ掃除をしてもらう事で勘弁してもらった。他にも、土曜日、校庭がサッカー独占でこれ迄のように野球などで遊べない、スパイクでグラウンドが傷む、などとよく叱られた。だから練習に使う沢山の棒や縄などを盗まれた時も、学校に言うと貸してくれなくなりそうで黙っていた。それでも何とか続けられたのは中村昭二さんがその都度、謝ったり交渉したりしてくれたお陰で、改めてお礼を申しあげたい。

§初めての試合、やらされるのでなく選手たちが自主的に!
 46年には中学生20名、小学生124名とかなり人数が増えて対外試合も始めた。中学生は枚方スポーツクラブで成功した実戦的練習法で相当上達したが、相手は三年生だから一、二年生の間は体格体力差で連敗だった。普通、試合前に指導者が攻め方、守り方、作戦などを指示するが、私は殆どしない。うちは普段から試合ですぐに役立つ実戦的練習の中で選手たちが各自判断工夫してプレーしているので、試合でもそのようにやればいいのである。初試合は上がってしまって自陣側で終わり。次ぎの試合はハーフラインを越え、三試合目でゴールに迫り、やがて勝てるようになった。選手たちが経験を積み自主的に上達成長していったわけで、日本では珍しい事例だった。
 まだ日本リーグ時代で私が機関紙に時折投稿していたサッカー狂会という集団があって、そのサッカーにうるさい連中が枚方で面白い少年サッカーをやっているらしいと、47年夏、東京など各地からやって来て香陽小で中嶋、山田など、うちの中学生と試合した。4−6で負けたが、今までの選手と違うという事はわかってくれたと思う。
 小四チームはよその小六相手に試合。サッカーを始めたばかりで皆夢中でボールに集まってしまい文字どおり団子サッカーで負けて嘲笑された。厳しく注意して散開させたらいいのにと思われるだろうが、いずれわかってきて必ず散らばるから心配ない。むしろ散開を強制する方が有害なのである。恐い先生が無理やり将棋の駒みたいにポジションにつかせているチームを見た事がある。先生は強いのがご自慢だったが、皆、絶対服従で怒られるから顔がこわばってしまって活気が無い。ましてスポーツの楽しさなどカケラもなく、指導者のリモコンで動くロボットみたいで哀れだった。

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