(67)§従来の教育についての疑問、いいものは採り入れよう! 近江 達
§従来の教育についての疑問、いいものは採り入れよう!
現役時代、日本代表のOBのプレーに憧れて自分もと努力したが力及ばなかった。それが心残りだったので少年選手育成では真っ先にあの素晴らしいプレーとコツ、駆け引きなどを是非少年たちに会得させたいと思った。だがどうすれば出来るのか?
ヒントは賀川さんから又聞きしたクラマー・コーチの、コツは自分で会得するもので、教えられない、という言葉だった。そういえば学生時代、監督に大分わかってきたかと言われた事があったが、私の母校、京大は自主自得がモットーであまり教えない。明治以来国を挙げて欧米から学んできたという国情と国民性から、一般に何でも全て教え教わるものとされているが、それだけでは教わった事しか出来ない。人生では自発的に取り組んで自得していく事が大切だ。そこで選手が自分から進んで会得しようと努力し工夫するように仕向けて、会得しやすい有効な練習法を考案し、タイミング良く適切なアドバイスやヒントを与える。そういうやり方をしようと思った。
 それから何故、日本選手は長時間厳しく教え鍛えられているにも拘らず欧米選手に劣るのか?それどころか日本サッカーは教育臭が強いと批判され、欧米は子供の頃サッカーで遊んだから上手くなる、ブラジルに至っては、サッカーに先生要らない、教えて上手くなるものではない、とさえ公言した。本来よく教育された選手は遊びで育った選手よりも優秀な筈なのに、日本の場合は逆だとなると、教える内容や教え方に誤りがあるか、教えない方がよいのか、教えられない事が多いのか、教育に欠陥があるに違いない。それに対して、私の足技は子供の頃遊んだからだし、よくサッカーで遊んだ中学には相当上手い素人が何人もいた。私は既成概念にとらわれず良い事は採り入れる方針で、欧米にように遊びで上手くなる事は紛れもない事実だから、初めから育成はうるさく言わないで遊び的に、自発的なゲーム主体でいくつもりだった。

§ゼロからの出発!やらされるのではなく、ゲーム的練習で面白く自発的に!
目標はチーム作りでなく個人育成である。将来、私のもとを去って何処へ行っても恥ずかしくないように、私が理想とする、これ迄にない、自立して自発的に、自分の眼で見て感じて頭脳を働かせ判断創意工夫して、お互いのアイディアで創造的攻守を臨機応変、自由奔放に展開する選手に育てたい。それには従来の日本式教育ではこれ迄と同じような選手にしかなれないので、白紙に戻りゼロから出発し、ありったけの知恵を絞り独自の練習法を考案工夫していった。いわばパイオニア的実験である。
 練習は型にはめずプレーの自由度を高くした。小学生低学年はすぐ飽きるので、基本技練習は数分間で次ぎの練習に移り、種目の組み合わせで目先を変えて興味をひきマンネリを防いだ。あまり指令や干渉をしないで、少年たちが自発的に行動せざるを得ないように練習にゲーム性をもたせ、少し基本技が出来たらすぐに敵ありでのプレーに進み、1:1や2:2などをいろんな状況設定でやり、得点で終わる実戦的練習を多用して、最後は必ず2、30分のミニゲームや紅白戦で終わった。これがとてもよかった。ゲーム的で面白いので皆サッカーが好きになり熱中して、何とかしてボールを取り敵を抜いて得点してやろうと、自然に状況判断し創意工夫するようになったから、好きこそものの上手なれで、技能や感覚、戦術能力もどんどん自力で向上していった。

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