(69)§枚方フットボールクラブと改称、サッカーノート 近江 達
§枚方フットボールクラブと改称、サッカーノート
 加入地域拡大、中学生クラス発足、多府県への進出と、発足時想像もしてなかった発展に今後を考えて中村さんが奔走し、昭和48年末、日本リーグ、フジタ工業の古賀さんが会長に、我々を高く評価し引き立てて下さっている大御所、加藤先生、高名な評論家の大谷さん、賀川さんとサッカー界のそうそうたる方々が好意的に役員になって下さって、枚方フットボールクラブと改称した。初会合が終わり加藤先生が上機嫌で言われた「日本サッカーのルネッサンスだ!」という希望と期待をこめたお言葉に万感胸に迫った。後に積年の思いなどを集大成した拙著の題名*にさせて頂いたが、今でも鮮明に私の心に刻まれている。(*日本サッカーにルネッサンスは起こるか?)
 指導してみると週3回の練習では不充分で教室で講義やテストをしたが継続は無理で、教科書代わりにサッカーノート上下巻を書いて初めて自費出版した。当時参考書は殆どなく独自の考えなども書いたところ、たまたま大谷四郎さん(朝日新聞記者、神戸一中、東大出、元日本代表、名センターフォワード)にほめられ好評だった。

§ドリブルの枚方、年齢能力と技術修得の優先順位、こうすれば上手くなれる!
 幼少時からサッカーを始める欧米にならって、日本でも漸く少年サッカーが始まり1970年頃から全国に普及興隆してきたが、単に早く始めるだけで子供向けの配慮や工夫はなく中学のサッカーと部活の小学生版だった。特に清水など全国制覇を狙うクラブは勝ち抜く為に小学生でも情け容赦なく、必ず大人になるのだからとスパルト的先取り教育で、いきなり理想とするダイレクトパスや激しい当たり、必勝パターンなど大人のサッカーを仕込んで強チームを作り、指導者たちの憧れの的になっていた。
 そうした大人的サッカーが少年サッカー界を風靡している中で、毎夏、神戸で優秀チーム招待の西日本フェスティバルがあり、安井以下の中一と佐々木、小松などドリブルが得意な小六チームが参加注目され、中でも佐々木の見事なプレーは人々が生まれて初めて見るもので、彼らを驚嘆させ魅了した。ドリブルは悪いと侮蔑した時代の真っ只中でも面白いものは面白い。彼を見たい観客が続々と大勢集まり一挙一動に歓声があがって、今でも上手かったと彼の話が出る。前代未聞の皮肉な痛快事だった。
 昨年の兵庫大会優勝に続き佐々木チームも大阪大会で優勝、ドリブルの枚方と評判になったが、特別ドリブルに力を入れたわけではない。少年期の必修技だからやったのであって練習量も必要量ギリギリで少なかった。その点、世間もうちで育った者も誤解がある。試合はパスだけでは出来ない。妨害されてボール・キープとか是非ドリブルすべき状況があるので、年少のうちに相手の一人くらい抜けるようになっておけ!というのが私の持論で、昔からドリブルや1:1などは子供の頃からやる方が上達するとされてきたから、実行してみたら皆感心するくらい上手くなってしまったのである。技術はそれぞれ難易度が違うので、修得し易い年齢と優先順位がある。パスよりドリブルが先、1:1が先で2:2、3:3と人数が多いほどあと、ミニゲームが先でチームのはあと。枚方は年齢に応じ優先順位に従って、パスよりも年少者向きのドリブルや1:1、ミニゲームなどを先に始めて続けたから成功したわけで、こうして年齢能力相応の身につき易い技術からやっていけば誰でも上手くなる事がわかった。

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