(71)§日本クラブユース選手権初代チャンピオン! 近江 達
§日本クラブユース選手権初代チャンピオン!
 安井など一期生は中学生になってからも毎年藤枝と試合した。中一で0−4、中二の夏は猛暑で初め失敗したが、後半涼しくなると見違えるように元気になり初得点、2−5と差を縮めた。半年後、中三の春、枚方は六分四分で優勢、再三ゴールに迫ったが松村のシュートはバーを叩きPKものの反則もレフリーが流した。ハーフタイムに藤枝は先生が全員ビンタ、後半、必死の猛攻で終了寸前、遂に押し込まれ0−1で惜敗した。とはいえ小六で0−8と大敗した体格素質で劣る彼らが週3回の練習で、連日猛練習、実力日本一の藤枝をそこ迄追いつめたのだから育成は大成功で、前年全国大会優勝の日比野中にも3−0と快勝した。藤枝はショックだったと思う。そのせいかコーチが交代、それが裏目に出て夏の全国大会決勝で失敗し準優勝で終わった。
 その後も彼らは順調に成長、52年夏、長野大町の記念すべき第一回日本クラブユース・サッカー選手権大会で、高二と高一の佐々木、小松の枚方ユースは読売ユースを3−1で破り初優勝を遂げた。相手は当時日本リーグで台頭中の読売クラブの下部組織、後の代表、都並、戸塚がいてお家芸のワンツー突破で先取点を奪われたが、RW田中が相手パスをカット、マイナスを受けたCF安井が得点して追いつき、後半は枚方が選手各自のアイディアで美しいサッカーを展開、北川、竹林の守備陣が突破を完封、LW柳田のセンタリングを安井、混戦から柳田が得点、エリートに決勝した。

§サッカーマガジンに新サッカーノート連載、日本サッカー飛躍へ異例の推奨!
 或る日、サッカーマガジンの大住編集長が来られて、少年教育をとりあげたいが書ける人がいない。私のサッカーノートが面白かったので書いてくれと言われて、50年から育成方針に続き新サッカーノートと題して連載を始めた。子供はゲーム主体でサッカーが大好きになる。蹴り合いしないで相手をフェイントで抜け、周りを見て考えろと言っておけば、自由なゲームの中で自分で工夫して必ず上達する。考え過ぎは彼らを駄目にするから辛抱が肝心!目先よりも大人になった時を目標に年齢と能力相応の技術戦術を体得させ、自分で見て判断工夫する習慣をつけて、パス一辺倒では大人で困るので、小さいうちにボールを持てるようになっておく。ドリブルで有名な佐々木は、サッカーを始めた頃、指示すると金縛りみたいになったので、自由にやらせたら上手くなった。ゲームが独演会になり他の者が困ったが、「持つな!」と叱らないで、ツータッチとか、彼だけは3人抜いたら反則、3点以上得点なしなど、特別ルールのゲームでパスを覚えさせた。叱ったら彼はサッカーをやめたと思う。実戦的練習が重要で、選手が自発自作自演するのがサッカー本来の姿だ、などと書いて練習法も紹介した。二年間連載の最終回、恐らく前代未聞の極めて異例の後書きをつけてくれた。
 「本誌では近江先生の考え方、やり方に共鳴して少年たちにボールを持たせ、考えさせる指導者の方が少しでもふえ、日本のサッカーが一日も早く世界に飛躍する事を祈ってやみません。もし、この近江先生のやり方に疑問などをもたれる方がいらしたら、ぜひ一度枚方へ行って先生の教え子たちを見て頂きたいと思います。彼らの創造力に溢れた素晴らしいプレーが、そのままその疑問に対する最高の解答となる事を、編集部は確信しています」。絶大な信頼と期待、過分の評価、推奨で恐縮した。

BACK MENU NEXT