(72)§社会体育クラブから初の日本ユース代表 近江 達
§社会体育クラブから初の日本ユース代表
 昭和52年(1977)、某高校サッカー部に移った佐々木は日本ユース代表に入り、翌年、枚方FCの安井、吉村も社会体育クラブから初めてユース代表に選ばれて三人は東欧遠征に参加、後に日本代表になる佐々木の巧技には外国人が本当に日本人かと驚いた。来日したペレが彼をブラジルに連れて帰りたいと言った話は有名だが、実は当時彼は最低の状態だった。部活ではドリブルの名手もタックルの練習台にされ、試合でも上級生が、勝手にシュートするな!俺が指示したら蹴れ!と命令していたのだ。それでもペレが注目したのだから、上手かった中学生頃の彼をペレが見たら吃驚したに違いない。枚方で続けていたら一段と素晴らしい選手になったのに惜しかった。

§生意気!水飲むべからず!喜んだマグラー神父、セルジオ越後の忠告
 ◆毎年の静岡遠征では高校は揃いのジャージーなのに枚方は経費節約でバラバラ、ぞろぞろ歩くので叱られた。高校はプレースタイルまでそれぞれ統一されているが、枚方は一人ひとりボールの持ち方もプレーの仕方も違う。個性的で考えてやってるように思うが、異質やよそものを嫌う先生方にはそれが生意気に映って反感を買ったらしい。露骨に態度にみせる先生がいたしレフリーの判定も枚方不利が少なくなかった。
 ◆試合中、相手チームの先生が、金を払ってサッカーやる奴なんかに負けるな!と怒鳴った。訳がわからず呆気にとられたが、後に、別のかつて全国制覇した有名校の先生が、俺は命懸けでやってる。遊び半分のクラブのコーチとは違う!と言ったと聞いてわかった。「まともな高校生は部活をやる!クラブに金払ってサッカーやってる奴は部活が出来ないろくでなしだ、そんな奴に負けるな!」という意味だったのである。
 ◆或る高校の先生は実戦的練習で上手くなると聞いて、1:1などやってみたが、ふだん上級生が威張っているせいか、選手が笑ったりして真剣にプレー出来ない。全然練習にならなかった。小学生でも出来る練習が高校生に出来ないとは何とも情けない。
 ◆今でこそ脱水予防で夏は給水タイムまであるが、Jリーグで外国人選手が飲みまくる迄、日本は何十年もの間、試合中、練習中は水分補給禁止だったのである。でもマラソンが給水所まで設けて飲んでいる以上、サッカーも飲んでよい筈で、私は禁止しなかったから、枚方の選手は水を飲む、非常識!と非難された。指導者が「枚方が飲んでいるのに、何故うちは飲んだらいかんのですか!と部員が言ってくるので困る。枚方も飲ませるな!」、と直接私に文句を言ってきた事もあった。平成の人たちは知らない事でピンとこないだろうが、つい最近までそのくらい非科学的だったのである。
 ◆それでも流石に帝京の古沼、清水東の勝沢、国見の小嶺さんなど一流高校の先生方は余裕で敵視も威張る事もなく、静岡学園の井田さんは個人重視で毎年交流し好試合だった。高名な藤枝東の長池さんは、話しかけたが無言、暫く待っても返事がないので話を変えようとする頃にやっと返事されたので面食らった。飲むと豹変するらしい。
 ◆熊本のマグラー神父は英国のキーパーOBで日本協会のアドバイザー。佐々木などのプレーを見て楽しかったよー!と喜んで、私の方針や育て方を日本ではない、外人の考え方ね、と話してくれた。セルジオ越後もうちのミニゲームでブラジルを思い出したよと語り、佐々木に、うまいけど用心しないと狙われて怪我するよ、と言われた。

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