(77)§育成法についての誤解、非難に対して 近江 達
§育成法についての誤解、非難に対して
§育成法についての誤解、非難に対して
 ◆練習が能率重視で反復練習がない、と非難されたが、枚方の練習は週3回、夕方から2時間半、うち40分がミニゲームか紅白で、やる事が山ほどあるのに時間不足。僅かな練習量で上手くなるには最も効果的な練習法と能率のよい配分を考案するしかなかった。幸い練習量がうちの数倍の一流どころなみに上手くなったが、これに勝る方法があったとは思えず、ああしなければ確実に普通以下で終わっただろう。反復練習や個人特訓のような贅沢が出来る時間はなかった。私は逆に日本の練習は惰性的で効率が悪すぎる。能率の良いものに変えないとレベルア ップ出来ないと考えていた。
 ◆社会人や大学のサッカー部に入ったOBが枚方で知らなかった事を教わり注意された、と不満だったが、私が教えたのは高卒まで。それも高校生は出席が悪く半分も出来なかった。大人に必要なサッカーの指導は大学や社会人サッカー部の仕事だ。枚方では、高卒以後、よそへ移ったときにどんなサッカーでもこなせて、どんなチームカラーにでも染まるように基礎作りをした。計画的未完成で、よそでも成長出来るように伸びしろをあけ、次ぎの指導者が手を加える余地を予め残しておくわけである。
 ◆私が、勝敗を無視して負けてもよい、と言ったとされたが、それは違う。サッカーの試合はゲームで、勝敗を争うのがゲームだから、選手は無論のこと、指導者も試合に勝とうとして全力をつくさねばならない。ただし技能や頭脳を使う習慣づけなど基礎作りの時期だから、少年たちは自分たちで考え工夫して戦うこと。その為に軍隊式とか大人的攻守のチームに負ける事があっても、指導者は怯まず目先でなく少年たちの将来の為に正しい育成を続けよう!負けてもというのはそういう意味である。
 ◆私がワンマンで少年には複数の違うコーチの指導が必要だと指摘された。ユースまでは基礎作り、ユース以後は大人のサッカーを扱うので、そこでコーチが変わってもよい。だが有能な同じ指向のコーチでなければ私一人でやる方がましだ。ただし私はワンマンではなく、うちのコーチにさえ自分の指導法を強制した事はない。コーチが創造的でないと創造力のある選手に育てられないので、コーチは自分で観察し考え工夫してもらいたい。私は内向的なので誰かと協同だと、現役時代失敗したように遠慮して自分の思いどおりの指導は絶対に出来なかった。一人だからこそ独自の練習法を工夫してハイレベルの少年選手育成に成功し、独特の枚方FCが生まれたのである。
 ◆私は、命令してやらせる、殴って強くする教育や選手のロボット化などを非難したが、全てのサッカー教育を否定したわけではない。今日、サッカー教育は、幼少時のサッカー遊びの効果、必要性を充分認めた上で世界中で行われている。あまり教えない私の指導も教育だし、教えたって上手くならないと嘯くブラジルもちゃっかりプロ養成のために選別教育をしている。近年、若者の思考力低下、幼稚化、ロボット化で教育改善が急務となったが、サッカー教育でも同じ事が言える。少年たちが早くから年相応でいいから自立して自発的に創意工夫できるように私が育てたのは、技能向上を図る為だけではない。サッカーは複雑で選手は人間的にいわゆる大人にならないと大成しないスポーツなので、その点からも是非彼らが確固たる主体性をもつ大人の選手に自力で成長していって欲しいからである。そうなれば指令サッカーから選手が自作自演する創造的サッカーに変わり一段とレベルアップする。人生にも必ず役立つ。

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