(78)§悔いの無い手術を 近江 達
§悔いの無い手術を
  医者の方の話に戻る。昔の外科医は今ほど細かく専門が分かれていなくて、頭の天辺から足の先までどこでも手術出来る名人になれ、と言われたもので、私も開頭から整形、泌尿器、大抵の事はやった。教わらないと出来ない医師もいるが、特殊な脳や心臓、大血管以外は未経験の手術でも独学で出来た。婦人科医が手術が苦手だとそちらも引き受けた。特に子宮外妊娠は卵管破裂で大出血、手術しないと死ぬから一刻を争い開腹すると中は血の海、手を入れて指で出血箇所を探り当て止血すると途端に患者の蒼白な顔に血色が蘇る。その間数秒、救命出来たと実感が湧く劇的な手術だった。
  手術上手と評判だから手術して欲しいと言って来た患者がいたり、神戸の親戚が、上手いという噂を聞いたと知らせて来たりして、術者として平均点以上の自信はあった。だが術後経過が悪いと辛かった。若い頃は自分の手術に失敗はないと思っていたが、その後、手術数が何百と増えて来ると、腕は上がっているのにうまくいかないケースが出て来た。何のことはない、若い頃は手術数がまだ少なかったのだ。
  医者もいろいろで、二言目(ふたことめ)には、僕が助けた、僕が直した、誰それの失敗の後始末をしてやったと吹聴する傲慢な先輩がいた。私は正反対で、何百例手術に成功してもそれは当然で自慢はよくないと思う。それだけに、術後一人でもこじれると自分が患者と入れ替わった方がましだと思うくらい落ち込んでひどく憔悴した。そこでどんな手術でも悔いのないように、ベストを尽くしたと言い切れるように心掛けた。患者と家族が手術を受けるか否かかなり迷うことがある。そんな場合は私の方から中止にした。こじれる率は1パーセント以下でも、もし手術してうまくいかなかった場合、患者も家族もやらなければよかったと後悔するに決まっているからである。

§強制退院を宣告
 医者は患者なら誰でも診察する。外来患者の中に近所の暴力団がいて、初めの頃は彼らの常套手段で、雑談しながらナイフで鉛筆を削ったり、火をつけたライターを私の顔前すれすれでしつこく左右に動かしたりして脅かした。あの連中は怖がるとつけ込んで来る。よそよそしくしたり敵視したりすると絡む。逆に親しくなる人がいるが、あれは危ない。私は隙を見せないで、つかず離れず何げなく応対する事にしていた。
  或るとき交通事故で組の幹部が鞭打ちで入院した。怖がらせる為に彼らは初対面は黒ずくめが多い。アウトローの制服みたいなものだ。おまけに二三日後、違う組の幹部3人が夜診で、こちらが断れないように空き個室ありと探知した上で強引に入院した。そんなのが4人も入ると無事にはすまない。ある夜、衝突、双方組員が駆けつけて大騒ぎ、流石に病院なので暴力沙汰には至らず、強制退院と決まった。ところが宣告係の結構恐そうな事務員が行くのをいやがり、容貌魁偉な大男の院長も雲隠れ、結局私にお鉢が回って来た。主治医だし、脅えておろおろする医師もいるが、先生は物に動じないからと言う。彼らもプロ、乱暴すると警察に連行されるとわかっているから危険はないと思うものの私だって嫌だ。でも誰かがやらないといけないので、独りで部屋を回って一人々々退院を言い渡した。返事しなかった程度でまあ無事に退去、一件落着したが、部屋の鏡に口紅で屈辱とか何とか捨てぜりふを書き残していった。

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