(79)§怖かった話 近江 達
§怖かった話
 医者も、というよりも医者だからか、とんでもない目に会う事がある。外来診察室に突然中年の男がずかずか入って来ていきなり私の前の患者用の椅子に座った。名前を呼んでないのに入って来ておかしいな?と思いながらひょっと見て吃驚仰天!何と、まだら模様の大蛇が腕に何重にもぐるぐる巻きついて瘤のようになっているのだ!晴天の淀川べりで寝そべって気持ちよく伸びをした途端、草むらの蛇に手が当たり驚いた蛇が腕に巻きついたらしい。何故病院に来たのかよくわからないが、何しろ私は巳年でも蛇は大の苦手だからどう仕様もない。結局、内科の長期入院患者に蛇に強い人がいて蛇を腕からほどき大きな缶に入れて一件落着、怪我も後遺症もなかった。
 もう一つ、あわや!という事件があった。或る日、診察室に何か足りない足どりで若い男が入って来た。患者が入って来ると医者は習慣で机上のカルテを見るが、カルテは来てない。お呼びでないのに無断で入って来るのは暴力団か酔っ払いか、ろくなのはいない、いやだな、と思いつつ顔をあげて男を見た瞬間、ハッとした。長い柄の斧を手にさげているではないか!一瞬、切りかかってきたら、どうよけよう、椅子を使って防ぐか、頭をよぎったが、まあ、いきなり襲ってくる気配はなさそうに見えたので、取り敢えず椅子に座らせ、内心襲撃に備えながら平気な振りで向かい合って話を聞くと、彼は水虫だが医者がちゃんと診てくれない。けしからんと言う。見覚えはないが、それで医者をやっつけてやると、斧を持って乗り込んで来たらしい。でもそれにしては全体に弱々しく他人事のような口ぶりで顔も無表情、精神分裂症だろう。とにかく興奮させないよう静かに応対しているうちに、やっと警官が来て連れて行ってくれた。もし暴れていたらとんでもない事件になるところだった。

§引き抜き
 医療の画期的進歩で、これ迄わかりにくかった脳腫瘍、内出血や肝臓、肺などの病変がCTでわかるようになり、私も直接胃を覗くファイバースコープで内視鏡検査を始めた。医学書や雑誌を見て随分勉強したのでノートした分厚いルーズリーフが何冊も出来た。研究室からパートで来た先生は約10人、次第に研究内容や気風が変わってきてその中から後に大学助教授が二人出た。京大との交流はあまりなかったが、一度、恩師木村助教授(後に京大教授)から、まともな外科に戻って来たら!と葉書を頂いた。社交辞令を言う人ではない。私の評判を聞かれたのか、心積りがあったのか、あの時戻っていたら国公立病院の部長か、京大病院の助手になれたかも知れない。大阪の新設病院からも引き抜き話があった。実は秘密にしていたが、あの加藤先生からも神戸で勤めて神戸FCを指導して欲しいといわれた事があった。私の古里で神戸は好きだが由緒正しい指導陣がある。枚方FCに責任があるのでお断りした。

§斜陽
 昭和37年に有沢病院に来てからずっと流行っていたが55年頃から外来患者が徐々に減ってきた。郊外開発で住宅、人口が増加、それに目をつけて開業医が増えたので、これ迄うちに来るしかなかった遠くの患者がそちらに移ってしまったのである。

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