(84)§SOI 近江 達
§SOI
 昔インターハイと言えば戦後昭和23年まで毎年京大であった旧制高校運動部の全国大会のことで、各地から高校生と弊衣破帽の応援団が押しかけて京の町を騒がせたものだ。そんな古き良き時代を忘れ難い蹴球部OBが、昭和50年頃からSOIと称して旧制高校OBのインターハイ を毎年秋に京大で開催した。だが歳々年々人は同じからず、次第に参加高校が減ってきたので、平成になって単独校では出られない何校かの有志が連合して1チームを作って出てもよい事になった。私の母校松江高校はかなり遅くまで単独出場したが、先年遂にメンバーが揃わ なくなったので参加終了になり、私は連合チームの関西白線クラブからSOIに出場することになった。

§48年ぶりのハットトリック!68歳
 白線のセンターフォワードがSOIに出身校の四高チームから出たので、SOIは私がセンターフォワードをやる事になり、平成9年(1997)、松本・八高連合との試合でシュートが右ポスト上を2本掠めたので修正して4得点をあげた。内訳は右隅2点、左隅1点、中央キーパーの右に 1点。ハットトリックは京大一回生の同志社戦以来、実に48年ぶりで、場所も同じ京大農学部グラウンドとあって感無量だった。

§ゲルト・ミュラーばりの得点で白線クラブSOI初優勝!70歳
 平成11年(1999)、最後のインターハイで、万年二位の白線は奇しくも最初で最後のSOI優勝をとげ、私は初めて以前Wカップで見たゲルト・ミュラーばりの得点に成功した。ゴールまで7、8米、右ポストよりでゴールに背面、後方から足元へパスが来て咄嗟に右インサイドで 少し大きくトラップ、味方側に数米戻したボールに追いつき反時計回りで振り向きざま右でシュート、ボールは右ポスト内側にゴールイン、生涯忘れられない得点となった。その時はミュラーのプレーを完全に忘れていたが、ミュラーが相手ゴールに向かって左半身(はんみ)、 右足アウトでトラップ、シュートした一連の映像を覚えていたので無意識に似たプレーをしたのだと思う。

§京大OB参加、名手川野
 白線クラブの母体、旧制高校は学制改革で廃校になったので後輩がいない。年々老化する一方だから新制の京大OBや他校出の希望者に加入してもらった。幸い京大が関西学生一部リーグで王者関学を破って三位を続けた戦後京大全盛期の、私より10歳以上若いOBが数名入って くれたので、レベルの低い白線といえどもたまに若い良いメンバーが揃った時には強チームが相手でも好試合が出来るようになった。
 中でも川野君(昭和17年生まれ、現京大OB会々長)は戦後の京大屈指の名手で、堅守抜群のセンターバックだが、オールラウンド・プレイヤーでしばしば快速強引なドリブルから得点し貴重な勝利をもぎとった。私がセンターフォワードだと時折、相手が困る所に長短様々なロ ビングや浮き球でボールを落とし、走り込んだ彼が拾って得点する手を使って成功した。意外性狙いでキックオフに続けた事もある。持ち込んだ彼からのパスで私が得点する事もあり、白線の殆どの得点を彼と私があげた。

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